新国立劇場の『こちぜん』シリーズ第3弾。演劇芸術監督の小川絵梨子氏演出。

作:ラジブ・ジョゼフ、

翻訳:小田島創志

 

フマーユーン:成河

バーバル:亀田佳明

 

二日間のプレビュー後、動きが整理されて、メリハリがついてすっきりした印象。上演時間も約100分から約90分。その分密度が上がり、感情の揺さぶられ度が大きくて、声を出して笑って笑って、くすって笑って、ぼろぼろぼろぼろ涙が溢れて溢れて、改めて思うのはこれは「今」の「わたしたち」の物語。

私たちは、ある意味誰もがフマーユーンであり、心のどこかにバーバルを抱えて、それとは気づかずにもがいて生きているのかもしれない。フマーユーンに会社で働く同僚たちを重ね、バーバルにこの時代に「自分」を持つことで生きづらくなってしまった友人たちの子どもたちの事を思う。。。。

 

素直に美しい舞台。美術は東宝エリザベートやレディ・ベスでもおなじみの二村周作氏、最近多用されがちな映像よりもより鮮明に情景を描き出す照明は松本大介氏。スタッフ、出演者ともに最高峰の組合せを見せて貰える。

 

ここからネタバレ含みますので、読みたくない方はスクロールしないでくださいね。

改行がわりに以前行ったインド旅行の写真を貼りますねウインク

タージ・マハル

ガンジス河の朝日

毎日カレーで幸せだったなぁ♥

最終日のニューデリー

 

フマーユーンは権力に逆らわず長いものに巻かれて生きることを選択する。幼馴染のバーバルとはバーイー(義兄弟のような意味合いかな)でニコイチで大人になり、今でも二人セットでタージマハルの夜明けの警護をする衛兵。でも父親は将軍で権力の中枢にいるのに自分は落ちこぼれの息子。

 

何気にね、フマーユーンは一番汚くて辛い仕事はやらない。いつもバーバル。そう、2万人の4万本の手を切るのも、排水溝のつまりを取るのも、切り落とされた手を丁寧に一つずつ拾うのも全てバーバル。恐らくフマーユーン本人は全く意識してないし、むしろ劣等感を抱えているつもりだろうけれど、どこかで、将軍の息子であることの優越感を抱えているように見えた。

そして、バーバルはきっとそれに気づいていて、それでもなお彼を愛している。まるっとフマーユーン(フマ)を受け入れている。

 

フマはバーバルの両手を切り落とした時、彼はその傷口を焼いてくれなかった・・・そうして、永遠にバーバルを失った…。

 

一人で警護に立つフマーユーン、隣にバーバルの幻を見て、二人でジャングルで迷った日の事を思い出す。二度と帰らない幸せな日を。

 

皇帝の命令が絶対だと信じて疑わないフマーユーン、けれどね、バーバルがいなくなっても後任が補充されない程度の仕事、タージマハルの衛兵という仕事。名もなき衛兵。

 

「美」に異常に執着するバーバルの生い立ちを想像してみる。綺麗なものをみて空想することで辛い現実世界から逃れようとしているのか。それとも本能的にこの世界の矛盾を感じているのか。星って何?って考えて宇宙船を飛行船を空想するバーバルは、変わり者でいわゆる「ふつう」の子どもではなかったんだろうなぁ。

 

現実世界の私たちは無自覚のまま日々に追われ、自分の中のフマーユーンは、自分の中のバーバルを殺し続けている・・・、そうjして少しずつ自分を殺していく…。だからこそ、私は演劇を見て、音楽を聴いて、美術に触れて、旅行に行く。知らないことに触れたい。感じたい。美に触れて感じたい。自分のなかのバーバルを見失わないために・・・。