開演前に演出をされた小川絵梨子氏がプレビューの位置付けについてご挨拶。お人柄が感じられる挨拶であーこの方の芝居なら安心して観ればいいと、素直に感じればいいんだと緊張がほぐれた。

https://www.nntt.jac.go.jp/play/guards_at_the_taj/
客席には作のラジヴ・ジョセフ氏もいらしてるとご紹介もありなんだか不思議な高揚感の中照明が落ち、そして明かりがつくとそこには成河さん演じるフマーユーンが立っている。
 
あーこれはとても今の物語。すぐ身近にある物語。あなたと私の物語。演劇は、観客一人一人が自分なりに感じて考えればいいんだよと、改めて語りかけてくれる物語。
 
感想はネタバレありなので、写真を置きますね。ネタバレしたくない方はスクロールしないで下さいねウインク
 
 
子どもの頃から親友のまさに破れ鍋に綴じ蓋のような二人。けれどフマーユーンが考えることをやめたとき、そこには悲劇が待ち受ける。空想家のバーブルと生真面目なフマーユーン…。ほんとうにそうなんだろうか。亀田佳明演じるバーブルが常識人で成河演じるフマーユーンは体制に飲み込まれた狂人なのではないのだろうか。
自分が切り落とした手をバーブルは丁寧に拾い上げていく。フマーユーンは決して拾わない。バーブルの両手を切り落としたフマーユーンはその傷口を焼いて止血してくれない。なぜ戻ってこないのか。彼のためと言いながら自分のためにしたことの重さを受け止められないから逃げ出したのか。
終幕、フマーユーンはバーブルと二人ジャングルに迷った夜を二人なんだかんだ言い合いながらも幸せだったころを思い出す。それは決して戻らない幸せな時。
 
終演後友人と、悲劇は喜劇なのかもしれないと語り合う。亀田さんがどんどんイケメンに見えてくるとかどうでもいいようなことを喋りながら、けらけら笑い合う。フマーユーンはくだらない国会答弁を書いている官僚たちの姿とダブり、それは会社の中の我々でもあり、それでも力に任せて酷い命令をしたフマーユーンの父親は許せない。でも彼は大して考えていないのだろうなと。そして、あの終幕は幸せの時を思い出し、永遠に失ったものの大きさに気づくあの終幕はファンタジーだなと、現実のフマーユーンは日々に流されてそんなことに気づくこともないのではないだろうかと。
 
敵機からタージマハルを隠すために黒い幕をかけるという話がバーブルの夢として語られるが、実際に戦時中には足場を組んでタージマハルを隠したらしい。8年前に行ったタージマハルを思い出しながら、あの美しさを思い出しながら、世界で一番美しいものとは何だろうか。美なんて、それぞれの感性で感じるものだから、私にとっての一番は貴方にとっての一番ではないだろうし、そもそもタージマハルを超える美は許さんという発想自体がナンセンスだな。
 
ちなみに血は…。まぁねぇ。そうなるにしてもただの赤い水ですから怖くはないですわ。