平野啓一郎の作品は殆どリアルタイムで読んできているので、マチネの終わりにも2016年の発売と同時に読んでいる。また発売と前後して、平野啓一郎さんのイベント等で色々お話を聞く機会もあり、平野作品の中でも思い入れが強い。

ちなみにこのブログは福田進一氏演奏のマチネの終わりにのCDを聴きながら書いている。

 

映画化のニュースが流れ、キャストを知った時、やはり、自分のイメージとは完全に一致するはずもなく、映画は別に観なくてもいいかなぁとも思っていた。

https://matinee-movie.jp/

 

それでも先に見た信頼できる友人が「良かった。もう一度観てもいい」と言ってくれたので、一緒に映画館へ。映画を観る前にもう一度原作をパラパラと再読してから。

 

そして、観終わった後は、友人と二人感動に心が打ち震え大興奮状態。この美しい映画を観て大興奮というのも変だが、そのまま近くのイタリアンレストランでしゃべり倒したのだから、やはり大興奮しか言いようがない。

まず、福山雅治がいい。顔の良さに惑わされてはいけない、本当に素晴らしい役者だとしみじみ思う。中年男性の、そしてピークを過ぎと自覚しつつある芸術家のみっともなさを赤裸々にみせながら、圧倒的に魅力的。凄いわ。あの魅力はいくら原作を読んで想像してても、かるく超えてしまう。いいわぁ。いいわぁ。

 

物語を現在に持ってきて、背景となる出来事も変えているし、原作で気に入っていたエピソードが無かったりもあるが、原作の本質を映画という手法で再構築されていて、全く違和感なく、どちらも素晴らしいと思う。決して派手な映画ではないけれど、観ていない友人達を誘ってもう一度映画館へ行く予定を立ててしまうほど、はまってしまった。

 

ちなみに、しじみのしーちゃんを鍋に入れちゃったエピソードが実はとっても好きだったんですが、映画では名前を付けるところまででしたね(笑)

 

2016/11/30に開催された読書会のメモを。スマホにキーワードだけ打ったメモですが。

 

20161130日 「マチネの終わりに」平野啓一郎との読者会 メモ

テーマ沢山

転がしている

雪だるま式

世の中にうんざり

読みたい小説

自分にとって切実なテーマ

書かないと苦しい30

恋愛小説が難しい。すれ違いがおきにくい。ロミジュリ、携帯。

なりすまし

プラトニック

家族

極端に美化

うまく言ってないほうが普通

日本人こだわり

間接的な問いかけ

ヨーロッパ

混ざっているのがいいなぁ

分人の構成比率をコントロールが自由

自由意志がほんとうに成立するのか。環境要因。

過去も変えられる、正負の側面

過去との因果関係の拘束からの解放

不安定な中に生きている

小説が持つ意味

社会状況と相対的

現状認識は徹底的にリアリズム

追認ではなく

単なる娯楽ではない

物質的な充足だけでは生きて行けない

小説が救済してくれた

深いところで読書との接点

決壊。世の中のヒトに大切なこと

殆どの人に届かない

文学を読まない人へのアプローチ

間接的な影響力

決壊、秋葉原事件

ひとにすすめるのを躊躇う

マチネは読んだ人がすすめてくれた

世間。人を裁くな。

登場人物が思い始めた

そのさき

正しい恋愛と正しい結婚だけではない。間違ってた?存在できない?

命の意味、自分の存在

レイプ被害

恋愛ってなに?話が合う。

楽しいなぁと思える会話が出来る得難い相手

友情との違い、+α

葬送、話をしたい!

伝えたい相手

三島の影響、最後の5年間

創作者の危機、自由意思、運命、諦念

自己責任論、しょうがない 文学的に意味がある

 

すれ違っていく場面を考えた

あとから考えるとなんとでも出来たから後悔。そこにいると出来ないからすれ違う

取材しやすくなった。ジャーナリズム

取材、協力的にはなしてくれる、話したいことが沢山ある

抱えている矛盾

難民、ひとりひとりにフォーカス

マチネの終わり、人生40代と重なるイメージ

天才って

個人としての多様性は限界がある。社会の多様性は個人の内的な多様性。安易なレッテル。

対立する部分と融和する部分

人間簡単に変わらない

その前提で、文学体験、共感

開かれて寛容になっている