Hideki Komoriのブログ -5ページ目

Hideki Komoriのブログ

煩悩丸出しの悪い考えに捕らわれ、どうにもならない情けない人間になることがあります。そんなとき文章を書くことにしています。頭が整理され立ち直れるときがあります。だめなときもあります。はた迷惑でくすがよろしくお願いします。


写真というものについて




この写真はまれにみるいい写真だと思う。もとカメラマンとして驚きだ。恐らくステージの脇でこれからライブを始めるメンバーにマルサリスが声をかけている瞬間だ。カメラマンならわかると思うけど、この場面でシャッターを切ることはとても難しい。正面を向いてるのはマルサリスだけで、他のメンバーは顔がほとんど見えてない。演奏者以外の人も混ざっている。画面に説明出来ない要素がたくさんあるからだ。
慣れているカメラマンであるほど、この場を仕切って画面を整理し、説明しようとするだろう。しかしこれは経験から言うのだけど、整えようとすればするほどこの場の臨場感はなくなっていき、2度と戻ってこない。
この場面と同じような状況で撮られたおおくの写真が、単なる記念写真になっていることはたやすく想像できると思う。
たったこれだけの出来事なのに、この瞬間にも神は宿っていて、時間は二度と戻せない。どんなに人物を配置しなおし、表情を求めて、何枚もフィルムを費やしても、これ以上のものは撮れないだろう。
このことをカルティエブレッソンは「決定的瞬間」と説明している。それは速くうごくものを映像として静止させることではない。事象にはすべてを象徴するような時間の流れのポイントがあるということなのだ。
このカメラマンが、偶然か、経験か、予感か、啓示かによってこの瞬間にシャッターをおしたことにより、時間はすべての事象を巻き込んでフィルムに定着された。その証拠に頭上に一個だけあるライトもここ以外に考えられないような正しい位置だ。
宗教画のような静寂のなかに熱い何者かの意思を感じる。演出されてはいない。カメラマンは静かにシャッターを押しただけだ。
写真は芸術なのか?、と言う議論はよくきく。写真は芸術になることがある、と言うのが答えだと思う。ただそれは、誰によって、いつ、何によって、なぜ、と説明出来ない種類の事柄なのだと思う。
恐らく、時間という、人間にはまったく理解も制御も出来ない不思議な要素が含まれているからではないかと、私はかねてよりおもっている。
おやすみなさい。(笑)