映画批評とか嫌いな人。ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂの映画を見てまぁ、面白いと感じた人。自分の考え押し付けやがって、不快なんだよッって思う人は、今すぐ回れ右してくださいな。後、ネタバレも含むかもしれないです。


 今日は、友達でSATの仲間でもある魔王と映画を見に行った。

私は原作を知っており、魔王から「映画やるみたいだぜ」という話を聞いたときからワクワクしていた。

それが、ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂである。

滝本竜彦さん原作の小説を映画化したとあって、そりゃあ、人間というかまぁ、この場合高校生なんだが、そのやり場の無い怒りや、不条理に対するもどかしさなんかを巧い具合に表現しているんだろうな。と思ったわけだ。


 見た結果は私が見た中で最悪だった。この映画は何なんだ?ふざけるな。怒りがふつふつと込み上げてきた。

大体、場所が北国じゃねぇじゃ無いか。ローキック結局一回しか受けてねぇじゃねぇか。

ローキック受けても半回転して頭から地面に叩きつけられねぇじゃねぇか。ふざけんな。

この作品でローキックは雪崎絵理の心境変化においてとても重要な役割をしていると私は思う。

だんだんと心を許すようになって初めてローキックが飛んでこなくなるのだ。だから、映画の図書館に行く前のあの場面でローッキックをするのを止めることはおかしいのだ。

 図書館で山本陽介がうろちょろするのもおかしい。雪崎絵理と何とか話して親しくなろうとしたいはずなのに自分から席を立つなんてことはしないはずだ。また、あそこで鎖帷子について本で見るのもこの作品での鎖帷子の価値が下がっているように思えて不愉快だった。


 次。山本洋介の扱いが酷すぎる。一脚全く役に立ってねぇ。というよりも、山本陽介自体が役に立ってない。というよりもこの映画だといらない。雪崎絵理がチェーンソーで斬られるギリギリのところで、一脚を持った山本陽介がチェーンソーを受け止める。それがあってこそ、雪崎絵理は山本陽介にだんだん心が惹かれていくのではないかと思う。それなのに、映画にはこのシーンが無い。というか、一脚が使われるシーンすらない。一脚がチェーンソーの影響でボロボロになるという事実が隠されている、というか最後の爆発でボロボロになったことになっているみたいだ。納得できん。というよりも、最後の爆発。あんなに大きな爆轟、火球。出たら周りの人間が気付くだろうが。


 能登はあんなに強くないだろ。しかも、映画の序盤であの決闘の話は出さないだろ。後々の雪崎絵理と山本陽介が公園のベンチで話し、回想することこそ意味があるだろ。しかも回想シーン公園じゃないし。無駄に能登強ぇーし。人物の性格というか特徴というか無視してね?


 加藤先生はもっといい人っぽいはずじゃなかったか? 家庭訪問じゃなくて二者面談になってるし。おまけに、山本陽介が灰皿を差し出したのに怪訝さをかけらも示さない。引越しを理由に逃げるのもおかしい。あのシーンでは、加藤先生は間違っている。俺にはチェーンソー男がいると山本陽介が言っている。しかも、引越しの話が来たのは家庭訪問の後だろ。


 下宿のお姉さんが、ただの堕落した人間に見える。怒鳴る部分の前、つまり、どうやって怒ったかとか、いきなり下宿をまかされたとか。ああいう部分を全て削っていきなり怒鳴る。もう、バカかと思った。何であんな大事な部分を削ったのかと。誰しも巧くいかない現実に不安だの苛立ちだのを抱えているようなことが伝わってこない。しかも、下宿のお姉さんの足を写すカット。シリアスなシーンだろうがあれは。何で今、ここでこの場所で、そんないらないものを足すんだ。スタッフは何がやりたいんだ。原作読んでんのかよ。


 ビルの屋上のシーンなし。崖というか岬というかのシーンなし。観光名所の山の山頂のシーンもなし。一脚でチェーンソーを初めて受け止めた教会のシーンなし。二人の距離が近くなるトンネルのシーンなし。大事な獣道もなし。

 ちょっとした観光名所の山の山頂、山本陽介が幽霊が出ると嘘をついたトンネルのシーンがなぜないのかがホントに腹が立つほど気にかかる。泣いてしまった雪崎絵理を引き止めるシーンすらない。心的描写関係のシーンが削除されまくりだ。

やってらんね。代わりに、プールとか江戸村みたいなとことか正直イラネ。


 もう少し、評論文的に筋道立ててまともな文章を書きたいが、感情高ぶってて無理だ。読み辛いがとりあえず俺の鬱憤を晴らしたいがためだけに書いているのでそのままでいいや。まだ、いろいろ書きたいが文章力無い俺が続けて書くのは疲れるので今日はこれくらいにする。次回も書くのかって言う表現だが次回書くかは分からない。

理屈タラタラですまなかった。


とにかく、原作はホント面白いよ。ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ


で、映画が終わって、「ふざけんなっ」って叫び散らして。階段下りる時に踏み外して足捻った。大怪我するところだったが、そこは俺の華麗なる回転受身をもってして足を捻るだけにとどめることが出来た。俺は凄いぜ。無意識のうちに行ってたぜ。アハハハハハ・・・すまん。


1月25日追記。

雪崎絵理が携帯電話を持ってるのがとてつもなく気に食わない。

携帯電話が無いから、手紙を読んだ山本陽介はそこらじゅうを駆けずり回り、探さなくてはいけなくなるのであって、携帯電話を持っていたら、まず、雪崎絵理に連絡を取ろうとするはずだ。映画ではそれが無い。つまり、山本陽介は携帯電話にすら気付かない馬鹿な人間となってしまう。注意深く見る人なら「何で電話しないのだろう」ってことになってしまう。

いらないものを付け加えるな。バッカじゃねぇの。