こんにちは


レイキセラピストのえりんです。


3.11 東日本大震災から13年目

手を合わせ光りを捧げました。




ネドじゅんさんのエレベーター呼吸も

日常化してやっていての気づきです。



巷の非二元ノンデュアリティの方々が言われてる


『私はいない』という言葉の表現が

なかなか理解や伝えるのが

難しいと思ってましたが



今回すごく自分で

これなんじゃないかなって感じました。



何年か前に

ワンネス体験やプチワンネスはあるので

体感しやすかったと思うけど



ぜひやってみてくださいね。



ほんとに、ボーっとする。


入りやすいのは

忙しくバタバタとやる事やったあとに

はーっ、、やれやれみたいな時


椅子に座って

大きくひと呼吸してボーッとする


そして、目をつぶる

意識を内に向ける


目をつぶった闇のなかでボーッとする


そうして



私はいますか?

私はいなくなったりしますか?


私を探す。


私は消えたり出てきたりしますか?


たぶん


『いる』じゃなくて


『在る』じゃないですか?


『変わらずにずっと在る』


そしてそれは


『全体』じゃないですか?

全体と同化してる。



私を探してみると

『個のわたし』はいないのが

なんだかわかります。


言葉だとホント難しいけど


ゆっくり呼吸をして呼吸をお腹に落としていくと

わかりやすいです。


『個のわたしはいない』けど


『在る』のです。



『全体として在る』


全体と繋がってる


全体と境い目がない




そのままの感覚で目を開けると


『全体として在る』がしばらくある。



でもどうしても


目を開けると風景の中で

固有の名前の付いた物が目に入るから


分離の世界にまた戻りやすいのは仕方ない。


ボーっとして

『全体として在る』を一日に何回か体感してると


いろいろな不思議なことが起こります。


不思議な事でなく宇宙的には通常のことなんだろうけど。


いわゆる


シンクロが起こりやすくなります。


それから

『ま、いいか!』って


ややこしい執着がなくなります。


そして


大きな安心感に包まれます。