世界的指揮者で、戦後の日本クラシック音楽界をけん引した
指揮者の小澤征爾さんが、6日、心不全で亡くなったことが
報じられています。88歳でした。小澤さんは、1935年
に、中国・瀋陽(旧奉天)生まれです。私の母校でもある
成城学園出身で、私の両親とも親しく、実家にも成城のお宅
から自転車で、よく来られていました。1959年に若手
指揮者の登竜門として知られるブザンソン国際指揮者コンク
ールで日本人で初めて優勝。カラヤンに弟子入りし、61年
にはバーンスタインにも才能を認められ、ニューヨーク・
フィルの副指揮者になりました。ウィーン・フィルや
ベルリン・フィルなど世界の名門楽団と共演を重ねました。
トロント交響楽団やサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を
歴任。2002から29年にわたってボストン交響楽団の
音楽監督を務めました。02~10年まで世界最高峰の
ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、02年には、日本人
指揮者で初めてウィーン・フィルのニューイヤーコンサート
に登壇しました。長野県とも縁が深く、92年に松本市で
始まったサイトウ・キネン・オーケストラ(SKF)松本(現在
はセイジ・オザワ・松本フェスティバル)の総監督を一貫
して務めました。国内外トップ奏者によるこのオーケストラ
を率いて、松本市から世界水準の音楽を発信しました。父
(元東大総長・加藤一郎)は、小澤さんに頼まれて、発足
当時のサイトウ・キネン・オーケストラの理事長も務めて
いました。恩師斎藤秀雄氏の思いを引き継ぎ、若手演奏家の
教育にも力を注ぎ、奥志賀高原で「小澤国際室内楽アカデミ
ー」もその一つです。若手育成をめざす「小澤征爾音楽塾・
オペラ・プロジェクト(小澤塾)も設立されました。
2010年に、食道がんの全摘手術を受け、その後体力が
戻らず、12年から1年間活動を休止され、その後も指揮
降板や曲目の変更などがありました。大好きなお蕎麦を
遅め昼食に食べられる成城のお蕎麦屋さんで、今は
亡くなっている母とお会いし、よくおしゃべりされていた
ことを思い出します。気さくな人柄もあり、多くの方に
愛された偉大な指揮者のご冥福を、心からお祈りします。