1974、75年に起きた連続企業爆破事件で、爆発物

 

取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者

 

(70)を名乗る男が、昨日29日朝、入院先の神奈川県内

 

の病院で死亡しました。末期の胃がんで危篤状態でした。

 

警視庁は、本人の可能性が高いとみていて、DNA型鑑定で

 

親族と照合している、ということです。桐島容疑者は、

 

過激派「東アジア半日武装戦線」のメンバーで、事件発生

 

から49年間逃走していて、警視庁指定の重要使命手配と

 

なっています。捜査関係者による男は、25日に病院に

 

「自分は桐島聡だ」と明かし、「最期は「桐島聡」で死に

 

たい」と話した、ということです。偽名を明かした4日後の

 

死亡でした。1970年代に日本社会を震撼とさせた事件

 

から半世紀。桐島容疑者とみられる男は、内田洋と名乗り、

 

藤沢市で約40年間土木会社に住み込み、一般に近い暮らし

 

をしていた、とのこと。東アジア半日武装戦線は、1974

 

年8月に、三菱重工ビル爆破をおこし、8人が死亡、380

 

人がけがをしました。この爆破事件の時、当時NHK

 

アナウンサーだった私は、午後のラジオ番組を担当して

 

いて、事件対応をしたことを鮮明に覚えています。私は、

 

長男を妊娠中で、間もなく産休に入るところで、胎教には

 

悪いと、後から思いました。1975年4月の韓国産業経済

 

研究所爆破事件に関与した疑いで、桐島容疑者は、翌日に

 

使命手配されました。間組大宮工場、間組江戸川作業所の

 

爆破事件にも関与した疑いがあります。東アジア半日武装

 

戦線は、元法政大学生の大道寺将司・元死刑囚(病死)など

 

によって結成されました。「アイヌ・在日朝鮮人、日雇い

 

労働者たち差別を受けている人だけが革命の主体となり

 

うる」とした「窮民革命論」だった、ということです。

 

警視庁は、一連の事件に関与した疑いが持たれていた

 

メンバー男女10人のうち8人を、75年に一斉に逮捕しま

 

した。82年にもう一人が逮捕され、桐島容疑者だけが

 

逮捕されずに逃走を続けていました。最期は本名で死に

 

たい、というだけでなく、事件について、ちゃんと語って

 

もらいたかった、と思います。