連日の訃報ですが、日本人として初めて国連難民高等弁務官になり、難民支援に

 

大きな貢献をされ、国際協力機構(JICA)の理事長も務められた緒方貞子さん

 

(92)が、22日に亡くなったことがわかりました。葬儀は近親者で昨日29日

 

行われ、後日、「しのぶ会」が行われると報じられています。昨日大田区の教会で

 

行われた葬儀が始まる前には、皇室とのゆかりも深く、同窓の聖心大卒で、テニス

 

仲間でもあったことから、上皇后美智子さまも弔問されました。緒方さんは、聖心

 

女子大を卒業した後、米国ジョージタウン大で国際関係論修士号を、カリフォル

 

ニア大バークレー校で政治学博士号をとり、英語が堪能で、国際感覚にも優れた

 

方でした。私が住んでいる軽井沢に別荘があり、私が移住してきた翌年の

 

2013年夏に、地元の人と別荘の人の交流のために行われていた「さわやか

 

交流会」で、対談をさせていただきました。若い時に、軽井沢にあったスイス

 

公使館で通訳をされていたそうです。緒方さんには、NHKの時にも何度も

 

インタビューさせていただきましたし、シンポジウムでご一緒したり、国会議員の

 

時には、審議会等でお会いしたり、いつも人を大事にされ、論理的で凛とされて

 

いて、学ぶことの多い人生の先輩でした。緒方さんは、1991年に国連難民高等

 

弁務官に就任し、2000年まで約10年間務められました。常に現場主義で、

 

小柄な身体にヘルメットと重い防弾チョッキを着て行き、どこでも一番に難民

 

キャンプなどの難民と話をされていた、とのこと。海外のメディアも死去を速報し、

 

英BBC放送は、素晴らしい交渉力や反対派に立ち向かう能力をたたえて、国連

 

の同僚から「5フィート(約150センチ)の巨人」と呼ばれていたと紹介しています。

 

緒方さんは、「生きていさえすれば、彼ら(難民)には次のチャンスが与えられる」

 

という信念をもち、長年難民の支援に尽力されました。特に、イラク国内で避難民

 

となったクルドの人たちのために、それまでの国外に逃れた難民を支援する、と

 

していた難民支援のあり方を変えて、国内の避難民も支援するようにしたことは、

 

有名な話です。退任後は、アフガニスタン復興支援政府代表や、国際協力機構

 

(JICA)の理事長を8年半務められ、現場重視の立場から40ヶ国以上に出張し、

 

職員も積極的に派遣して、アフガンや南スーダンなどの途上国支援に尽力され

 

ました。また、国の安全保障ではなく、ひとりひとりの人が恐怖や貧困から解放

 

される「人間の安全保障」の理念を広めることに努められ、アマルティア・センさん

 

と共同議長をされたりもしました。人間の安全保障は、「ミレニアム開発目標」

 

につながり、現在はSDGs(持続可能な開発目標)に発展し、「地球上の誰一人

 

も取り残さない」という目標を掲げています。現在も、世界で難民・避難民は、

 

7000万人に上っています。各国が、自国第一主義に走る中で、緒方さんは、

 

たくさんおっしゃりたいことがあったと思います。緒方さんとともに活動したUNHCR

 

(国連難民高等弁務官事務所)駐日代表だった滝沢さんが、緒方さんは日本に

 

対して「「人間らしい心」を忘れるな」と叱咤されたいた、と語っています。難民

 

受け入れに消極的な日本の対応について「人間らしい思いやりの心がない」と

 

厳しく批判され、資金援助中心に苦言を呈されていた、とのこと。いつになく強い

 

ことばで怒りを表明した緒方さんは、3つの理由として「日本人は世界の実態を

 

知らなすぎる」「日本人さえよければいいという心性」「日本人は損得勘定を考え

 

すぎる」ということだったのだろうと滝沢さんは語っています。多くのNGOの人たち

 

からも、緒方さんへの感謝のことばが寄せられています。緒方さんの志を、経済力

 

のある日本は、受け継いでいかなければならないと思います。