2011年3月の福島第一原発事故を巡って、業務上過失致死傷罪で強制起訴

 

された東京電力の勝俣元会長(79)など旧経営陣3被告に、東京地裁は、昨日

 

19日、無罪の判決を言い渡しました。永渕裁判長は「事故を回避するために、

 

原発を止める義務を課すほどの津波の予見可能性はなかった」と判断しました。

 

また、予見の前提とされた国の地震予測「長期評価」の信頼性を否定したこと

 

には、批判も出ています。東日本大震災による福島第一原発事故について、福島

 

の住民などが2012年6月、東電幹部や国の関係者などを告訴・告発しました。

 

東京地検が全員を不起訴にしたのに対し、検察審査会は旧経営陣3人に絞って、

 

2度にわたって「起訴すべきだ」と議決しました。これによって、2009年5月に導入

 

された強制起訴制度の9例目の対象事件となり、2017年6月から公判が

 

始まっていました。一時は、16万人以上が避難し、8年以上が経った現在も約4万

 

2千人が避難を続けています。これだけの事故について、誰も責任をとらないのは

 

おかしい、という感情は、多くの人がもって当然だと思います。しかし、検察が起訴

 

して、裁判所が不起訴にしたものを、検察審査会の強制起訴によって覆すのは、

 

難しいといわれています。裁判の争点は、事故を予見できたか、被害の発生を

 

防げたかの、主に2点でした。争われたのは、国が2002年に公表した地震予測

 

「長期評価」を基に、東電が得た試算の信頼性でした。検察官役の指定弁護士は

 

「長期評価は専門家が十分議論して公表したもので信頼できる」と主張し、弁護側

 

は「具体的な根拠が示されておらず、信頼性がなかった」と反論していた、という

 

ことです。判決は、長期評価は「十分な根拠があったとは言い難い」として退け

 

ました。避難者などが、国や東電に損害賠償を求めた民事訴訟では、東電は津波

 

を予見できたと判断し、電源の高台移転などの対策を取らなktった過失を認めた

 

判決が出ているのに、何が違うのでしょうか。刑法は個人を処罰するので、組織の

 

決定に対する個人の責任を問うことの難しさを浮き彫りにした、とされています。

 

そうであれば、組織を罰する仕組みを検討する必要があるのではないでしょうか。

 

検察審査会が強制起訴し、有罪となった事件が少ないことから、その意義を問い

 

直す声もありますが、今回も含めて後半で様々な情報が開示されることには、

 

意義があると思います。それにしても、これだけの事故で、誰も処罰されないこと

 

には、納得がいかない方が多いと思います。