大相撲は、それほど見るほうではありませんでしたが、仕事を引退し、軽井沢に

 

移り住んで、地元の御嶽海のニュースを信濃毎日新聞やテレビで連日見ている

 

うちに、以前より親しみやすくなり、家にいれば見るようになりました。御嶽海は

 

今場所は負け越してしまいましたが、3横綱1大関が休場する中、九州場所を盛り

 

上げたのが、若手力士、中でも、初優勝をした貴景勝でした。お相撲自体が、

 

突き押しで、けれんみがなく、気持ちのよいものでした。まるでお相撲さんの人形

 

のような、背は高くないのに体重はあり、腰を低く、立会で相手より踏み込んで

 

いく相撲は、見事だったと思います。初日に稀勢の里に勝ち、13勝2敗での優勝

 

でした。幕内最年少の、22歳3ヶ月での優勝は、年6場所制になった1958年

 

以降にデビューした力士で6番目の年少記録、初土俵から26場所目での初優勝

 

は、曙と並んで4番目の早さ、ということです。新聞には、星一徹のようと書いて

 

いるものもある厳しいお父さんと、小学生の頃からプロを目指してきた、ということ

 

です。体重を増やすために、たくさん食べて、小学6年生の時には90キロに。

 

小学生の時に通った相撲教室、中学、高校、そして入門した貴乃花部屋と、常に

 

厳しい指導の中で、22歳とは思えない芯の1本通った貴景勝が育てられたよう

 

です。兵庫の報徳学園中で中学横綱になり、埼玉栄高でも数多くのタイトルを手に

 

して、2014年に、貴乃花部屋から初土俵。九州場所直前に、父子ともに尊敬

 

していた師匠の貴乃花が相撲界を去り、現在の千賀の浦部屋に移籍しましたが、

 

そうした周囲のことには惑わされずに、ひたすらよい相撲を取ることに集中して

 

きた、とのこと。勝っても負けても表情を変えず淡々と自分の相撲を貫き、、「悔い

 

のないようにやりたい」と、勝敗より中身にこだわるのは、貴乃花ゆずりだと思い

 

ます。貴乃花が、いろいろあって相撲界を引退したのは残念ですが、弟子の育て

 

方は、正しかったという証左かとも思います。貴景勝は、小学生の頃から「お客

 

さんに喜んでもらえる相撲」を目指していた、それは、「国技館にお客さんに来て

 

もらわなければ力士の存在意義はないから」と話していました。これからの相撲界

 

を背負って立つ力士に育ってくれるように、応援していきたいと思います。