私が国会議員をしていた15年間、ずっとお世話になっていた仙谷由人元官房

 

長官が、11日肺がんで亡くなったと報じられました。仙谷さんは、論客で「熟議」

 

の民主主義のために、各党の人脈や官僚とのパイプを上手につなぎ、その姿勢を

 

若手に見せて、多くのことを教えてくれていました。弁護士の仙谷さんは、1990年

 

に当時の社会党から初当選し、1996年の旧民主党結党に加わり、1998年から

 

の新しい民主党で、常に要職にありました。2009年に発足した民主党の鳩山

 

内閣で行政刷新相として事業仕分けなどを指揮し、2010年の菅内閣で官房

 

長官に就任しました。仙谷さんは、影の総理ともいわれていて、民主党政権には

 

なくてはならない人でした。私が厚生労働副大臣に、という連絡を受けたのも、

 

仙谷官房長官からでした。歯に衣きせず、正面から議論に挑む仙谷さんは、

 

ねじれ国会の中、中国船船長の釈放を巡って、当時の野党自民党から弱腰だと

 

批判され、参院で問責決議が可決されて、官房長官を退きました。その後、

 

東日本大震災の時には、枝野官房長官を支える官房副長官として、被災地の

 

生活支援などを陣頭指揮していた姿が蘇ります。前原さんや枝野さんを初め、

 

多くの若手議員の師匠、兄貴、親分として、若手や経験の少ない議員を育てること

 

に力を注がれたことが、強く印象に残っています。自分で、経済専門家や歴史

 

学者などを呼んで、議員たち20~30人を対象に、勉強会を月1回位のペースで

 

何年も開催され、私もその一員として勉強させていただきました。消費者問題特別

 

委員会で、現在の消費者庁を作る議論をしていた時、野党筆頭理事が仙谷さん、

 

与党筆頭理事が自民党の岸田さん、委員長が自民党の船田さんという、人に

 

恵まれたこともあり、国会での熟議とは何かを、身をもって体験させてもらい

 

ました。衆参で多くの付帯決議もつけ、もっと省庁間での調整能力を持つ強い

 

仕組みを目指していましたが、国会解散前のバタバタの中で、委員会の意向とは

 

違う組織ができてしまったことは残念ですが。女性候補者を擁立するため、仙谷

 

さんとご両親を説得に行き、3~4時間ねばって、了解を得たことも思い出します。

 

私が厚生労働大臣の激務で体を壊して、落選を機に引退した時も、真っ先に食事

 

に誘ってくださいました。以前に胃がんで胃を全部取られていましたが、その後は

 

お元気そうで、またお会いする約束もあったので、本当に驚きました。民進党が、

 

国民民主党、立憲民主党に割れてしまっているなど混迷の今、ほんとうに必要な

 

方を失ったという思いで残念でなりません。心から、ご冥福をお祈りします。