先日も取り上げた、LGBTを巡る寄稿や企画が批判されていた、新潮社の月刊誌

 

「新潮45」の休刊が、一昨日25日、発表されました。部数が低迷して試行錯誤を

 

続けるうちに「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や原稿チェックがおろそか

 

になっていたことは否めない」と説明しています。「会社として十分な編集体制を

 

整備しないまま刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、休刊を

 

決断した」と。佐藤社長は、21日に「ある部分に関しては、あまりに常識を逸脱

 

した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」という声明を公表しましたが、

 

この段階で新潮社は「謝罪ではない」という認識を示していました。しかし、25日に

 

報道各社へ出した声明文では「このような事態を招いたことについてお詫び致し

 

ます」と初めて謝罪しました。休刊は、実質的に廃刊、ということのようです。現在

 

発売中の10月号が最終号になります。このような突然の休刊に、新潮45の連載

 

執筆者や業界関係者からは、批判や落胆の声が上がっている、と報じられて

 

います。私も、読者や社会への責任を全うするには、経緯をきちんと検証し、結果

 

を次の号に掲載して、編集部・新潮社としての見解を明らかにしてから休刊すべき

 

だったと考えます。発端になった自民党衆院議員の杉田氏の論文では「同性婚を

 

認めれば、兄弟婚や親子婚、ペット婚や機械と結婚させろという声も出てくるかも

 

しれない」などとしていて、根拠のない乱暴な論調に呆れます。その上、10月号

 

では、こうした一種のヘイトに賛同する人達の論文を載せています。例えば、文芸

 

評論家の小川栄太郎氏は、同性愛を「全くの性的嗜好ではないか」とし、LGBTの

 

権利を擁護するなら「痴漢」が「触る権利を社会は保障すべきではないか」と述べ

 

ている、ということで、不適切で事実に基づかない極端な表現です。新潮社として、

 

どの表現に問題があったのかを明らかにする責任があると思いますが、「外部の

 

筆者だから特定は控えたい」といっているそうで、再発を防止するためどうするか

 

も示されていません。これでは、何に「深い反省」をしているのかもわからず、臭い

 

ものにふたをして、やりすごそうとしていると受け取られます。出版不況の中、雑誌

 

は苦戦していますが、人権を傷つけても「売らんかな」になっては、表現の自由の

 

危機を招きます。どのようにして、よい本を作り、人々の「知る権利」に応える

 

のか、出版界全体の課題でもあり、そのためにも、新潮社は、検証した結果を、

 

社会に示す責任があると思います。