1997年から2006年まで2期10年、第7代国連事務総長を務めた、コフィ・

 

アナン氏が、18日死去しました。80歳でした。コフィ・アナン氏は、国連職員出身

 

で、幹部の時代から、国連平和維持活動(PKO)の改革を主導していました。冷戦

 

後の国連に「新たな生命を吹き込んだ」、国際社会の平和の担い手としての貢献

 

が評価され、事務総長就任後の2001年に、国連とともにノーベル平和賞を受賞

 

しました。人間の尊厳を重んじ、各国の利害を超えた発言を続け、国連関係者の

 

信頼は厚かった、と報じられています。PKOは、1990年代に、ソマリアで大きな

 

犠牲を出して撤退し、1994年にルワンダ、1995年にボスニア・ヘルツェゴビナで

 

起きた虐殺事件を防げませんでした。これを受けて、アナン氏は、2000年に

 

PKO改革委員会を設置し、市民保護に必要と判断すれば、武力行使に踏み切る

 

改革を断行しました。退任時には、国際社会には虐殺や戦争犯罪から市民を

 

保護する責任がある、と加盟国に認めさせたことを、業績に挙げました。しかし、

 

任期後半には、ブッシュ政権が主導したイラク戦争を止められず、国益を追求

 

する大国への対抗手段がない国連の現実も浮き彫りになった、ということです。

 

このことについては、2003年開戦のイラク戦争では「法を逸脱した武力行使」と

 

アメリカを批判しましたが、2006年の退任時には、「最悪の経験」として「可能な

 

手段のすべてを尽くしたが、戦争を止められなかった」ことを挙げています。また、

 

21世紀の国際社会の開発指針を示した、ミレニアム開発目標(MDGs)を主導

 

し、「極度の貧困と飢餓の撲滅」「HIV(エイズウイルス)やマラリアの流行防止」

 

など8分野で目標を設定しました。冷戦後、国際社会が、同じ目標に向かって

 

どのように進むかを示した功績は大きいと思います。MDGsは、2015年から、

 

SDGs(持続可能な開発目標)に引き継がれています。SDGsは、17の目標

 

として「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」「質の高い

 

教育をみんなに」「ジェンダー平等を実現しよう」などです。退任後は、スイスの

 

ジュネーブを拠点に、平和運動に取り組み、ロヒンギャ問題では、ミャンマー政府

 

の諮問委員も務めました。アナン氏は、スイスのベルンの病院で18日死去した、

 

ということです。世界の各地で、依然として紛争が続き、北朝鮮の問題をはじめ、

 

世界を脅かす問題が後を絶たない中で、国連がもっと力を発揮してほしいという

 

意見が多く聞かれ、私もそう思います。常任理事国5ヶ国の意見が割れると動きが

 

とれないことも、たびたびあります。アナン氏の改革や提案を評価するとともに、

 

現在の国連の改革を進め、核による第三次対戦などが、間違っても起こらないよう

 

にしてほしいと思います。