高市総務大臣が、放送局が政治的な公平性を欠くと判断した場合、放送法


4条違反を理由に電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性を、衆議院


予算委員会で述べたことは、大問題だと思います。電波の停止処分は、権力


による、放送への究極の介入です。こうした可能性に触れるだけで、安倍政権


の様々な締め付けによって、ただでさえ萎縮しているようにみえる放送局を更に


萎縮させることになります。民主主義の基盤である、国民の知る権利を侵害する


ことになります。昨日9日の衆議院予断委員会でも、重ねての質問に対して、


高市大臣は、「1回の番組ではまずありえない」としつつ、「私が総務相の時に


電波停止はないだろうが、将来にわたってまで、法律に規定されている罰則規定


を一切適用しないということまでは担保できない」と述べて、重ねて電波停止の


可能性に言及しました。これまでの総務大臣の答弁では、例えば増田寛也元大臣


は、「行政処分は大変重たいので、国民生活に必要な情報の提供が行われなく


なり、表現の自由を制約する側面もあることから、極めて慎重に判断してしかるべき


である」と述べているように、抑制的な発言をしています。そもそも放送法4条は、


番組編集の基準として、①公安・善良な風俗を害しない②政治的に公平③事実を


まげずに報道する④意見が対立する問題ではできるだけ多くの角度から論点を


明らかにする、という4項目を掲げています。放送法4条は、倫理規定であり、


努力目標、というのが、法律の専門家の定説です。それを法律に規定された


罰則規定ととらえて、処分の根拠にすること自体が間違っています。高市大臣が、


「国論を二分する政治課題で一方の政治的見解を取り上げず、他の見解を支持する


内容を相当時間にわたって繰り返し放送した場合」を、公平を欠く放送の一例として


あげていることも、公平かどうかを政府が判断することになり、言論統制につながる


問題だと考えます。安部政権では、たびたび「放送の自律」を軽視する姿勢を示して


きています。テレビ局の幹部を個別番組について呼びつけて事情を聴いたり、選挙


報道の「公平中立・公正の確保」を求める文書を送ったり、自民党内の会合で


「マスコミをこらしめる」という発言があったり、と枚挙にいとまがありません。そうした


姿勢のひとつの表れが、高市総務大臣の発言かとも思います。総務大臣は、電波を


所管する大臣なので問題は大きく、放送の自律を守るためには、放送を政治から


切り離し、放送についての権限を、独立の第三者機関に委ねることを考える必要が


あると思います。政府の意向に沿う放送だけになってしまったら、どこかの国と同じに


なってしまいますから。