自称文藝評論家のいう保守とは? | 衝動記

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自分の心の中の衝動を文字や文章にして表してみました。










表現者 2016年 07 月号 [雑誌]


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自称文藝評論家で思想家で「小林秀雄の跡継ぎたらんとする人間」と自称する放送法遵守を求める視聴者の会事務局長である







大センセーがまたまたまたまたFacebookにてこんな投稿をしていました。





『都知事選論争に興じるのは結構だが、あまり頭に血を上らせるのは馬鹿馬鹿しい。少なくとも自説と違ふ人の人格攻撃をしたり亡国の徒扱ひするのは、小池氏推しも増田氏推しもやめた方がよからう。 
そもそも成行の選挙に過ぎない。どちらかが非常に優れ、どちらかが全く駄目といふ話でもない。増田氏の過去の行政手腕や言動の多くは評価し得ないし、小池氏が今の選挙公約や初心を当選後守り切るかどうか過去から見ると疑念がある。また出馬の脈絡も、増田氏は公認だが棚ぼた候補、小池氏は、今回の一連の行動は党や政権から見れば許せないといふ事になつても、政治生命の退路を断つての決断力が世論の支持を得てゐるのは間違ひない。
どちらにせよ、保守派が大喧嘩して支持を主張しあふ話ではあるまい。鳥越当選を阻止する必要があるといふのも尤もだが、あと1週間あの姿を都民に晒し続ければ当選はさすがに無理ではないか。万一当選したら都民の損害は大きいが、混乱に継ぐ混乱の中、早期辞職となる可能性が高い。都議会与党は自公である。逃げ上手の鳥越さんだが、私達視聴者の会や街宣からは逃げられても、都知事になつて議会からは逃げられない。都議会に森進一さんを連れてゆくわけにもゆかない。別に私は見たくないけれど、残酷な見物になるだらう。
そんな選挙で保守が大騒ぎして「あいつはやつぱり駄目だ」「こいつは裏切つた」だのといふのはアホ臭い。
それよりも、参院三分の二を取つた歴史的快挙はまだ十日前の事だ。
愈々改憲をどうするか。
また少子高齢化と地方衰退をどう防ぐかの抜本的な議論を始めなければならない。
少し頭を冷やしてじつくり勉強しませう。
例へば柄谷行人著『憲法の無意識』や井上達夫「憲法の涙」。かういふ本で護憲派を研究して自説を深めてゆく。さういふ作業を評論家任せにしないで多くの保守派が主体的に取り組んだ時、改憲は始めてリアルな政治課題になると私は思ひますよ。
学び考へる事を大切にしたい人は、第一土曜日の私の勉強会『讀書の學』に御参加ください。』

僕は大センセーに言われるまでもなく、ここ数年考えているのは「保守」って何?
これなんです。
西部先生や佐伯先生のように知性や経験を重ねた方がいう「保守」と大センセーや絶望社長、あるいはネットで保守を自称している輩のいう「保守」とは全然違う。

両方比べてみると前者の先生方は常識や良識という積み重ねを大切にしているが、後者はそれを口ではいうが実際は常識や良識よりも改憲とか自主憲法制定を目的化しているきらいがある。
僕も憲法改正や自主憲法制定には賛成しますが、それは目的ではなく手段でしかない。
護憲とか改憲とかで分ける前に先ずは「憲法とはなんぞや?」という本質的な部分での議論をする場が重要であって、それを噛み砕いて大衆に説明をしていく。
戦後日本人は自ら常識や良識を壊してきたが、まだ残っているだろう常識や良識で判断をする部分があるだろう。

そういったネイションの根幹たる部分から始めて連関した議論に必ずなりますから、大センセーのいう少子高齢化による人口減少、これ自体は危機なのか?とか。地方衰退を食い止めるには地方創生も含めた地方分散や地方ならでは内需拡大なども含めて、
「コミュニティ(トポス)を守る」
この気概を持ち始めるというそのなるんじゃないのかな?
そうした気概が生まれれば、コミュニティやトポスの最大公約数は国家たるネイションですから
「己の国は己で守る」
というのに繋がっていくし、そうなればグローバル化というのはまずいな、と気づく人が出てくるかもしれない。

そこまでやるのであれば大センセーの塾とやらに行く価値はあるかもしれぬが、全くないでしょう。
理由は大センセーは西部先生に目の前で「連環した議論が大事」と言われたにもかかわらず、全くわかってない言動をしたからです。
今でもまだわかってないだろうな。



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