港湾病院とRicksha Room | HOKUの日記

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ブログの説明2005年2月生まれのMダックス『HOKU』の成長日記です。“人間のお父さんお母さん”が『HOKU』のことばを翻訳しています。

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今日は番外編で、横浜・本牧の最新事情を“人間のお父さん”がレポート。


8月23日付の朝日新聞(朝刊)に残念な記事が。
本牧にあるレストランバー「Ricksha Room(リキシャルーム)」が、8月末で44年の歴史に幕を
閉じるとの事。 

また、横浜市が進める市立病院の経営改革の一環として、昨年春に「横浜市立みなと赤十字
病院」として生まれ変わった「港湾病院」がこの夏取り壊された。

距離は近いが何の関連性もなさそうな2つの場所。 しかし、私にとっては関係ある2つの場所。

「横浜市立港湾病院」。スポーツ整形外科(特に靱帯再建術)の権威、
ドクター高澤(故人)が指揮をとる整形外科には、かつて日本中のアスリートがやって来た。
私が所属していた某大学ラグビー部のチームドクターを、高澤先生に長年に亘り引き受けて
いただいた事もあり、「港湾病院」と高澤先生にお世話になった部員は多い。
私自身「港湾病院」で4度 手術を受けている。

スポーツ選手がどれだけこの病院と先生達を頼っていたかを物語るエピソードを一つ。
ある日私が整形外来を訪れると、ジャンボ尾崎が腰痛で診察を受けに来ていた。この情報を
聞きつけた入院患者がスタープレーヤーを一目見ようと外来に下りて来た。ジャンボが診察
室から出て来て、最初にサインをもらいに駆け寄った入院患者はスケートの橋本聖子だった。

高澤先生がお亡くなりになり、「港湾病院」もなくなって、栄光の整形外科メンバーは各病院
に散っていった。
残念ながら、「みなと赤十字病院」は素晴らしい伝統を受け継ぐ事は出来なかった様だ。


この「港湾病院」の帰りに、学生達が背伸びをして立ち寄ったのが「Ricksha Room」だった。
窓がない怪しげな白い建物。店内は薄暗く、バーコーナーだけ青白い光に包まれている。
美空ひばり、石原裕次郎や若き日の王監督がお忍びで来ていたという歴史あるこのお店、
実は一度取り壊され、跡地に建ったマンションの地下一階で営業を再開していた。


学生時代によく来ていた本牧に住む事になったのも運命的なものを感じるが、この2つの
思い出深い場所が時を同じくして姿を消してしまうのも、私にとっては偶然とは思えない。
「港湾病院」の瓦礫の写真を撮り、「Ricksha Room」で最後の食事をした後、本牧通りのバー
「Shuffle」に久しぶりに立ち寄った。ここはなくならないで欲しいものだ。


【写真】〔鯡椶鮟えたばかりの港湾病院(2005年4月) 瓦礫と化した港湾病院(2006年8月)
Ricksha Room きShuffle