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今日はわんこの病院でした。12歳の老犬・・・あれやこれやと色々と病気になって今日は歯周病の為、歯石取りと抜歯の手術。
膵臓の薬も飲んでるので通院もあって、人も犬も病院ばっかりです。
話は息子に戻ります。
ICUに運ばれてから、看護士さんから説明がありました。
これからの事や入院の目安や、ICUの説明など。
それから、簡単にこれまでの状況を聞かれました。
何度も色んな人に説明する度にどんどん思い出してくる事もあって、そうや!こんな事もあったとか、ん?ほんまに左手からの痙攣が始まりやったか?とか。
やっぱり、冷静さを保ってたなんて嘘。
心臓はバクバクやし、お腹も痛くなって吐きそうにもなりながら救急車に乗ってた。
看護士さんは男の人で、自分にも子供二人いるんです、お母さんほんまにびっくりされたでしょう。ってお話してくれてなんだかすごく
話しやすかったのを覚えています。
結局2時間後ぐらいに呼ばれて奥の部屋に入って行きました。
すごく大きいベットに管だらけの我が子。
私はその場で泣き崩れてしまいました。
こんな姿に自分がしてしまったんだと、ただそれだけを思いました。
早く会いたかった息子は抱っこさえできない姿で目の前に居る。
首からの点滴が三本、手首と足首から二本。心電図と脳波。
触れるところがないぐらい管だらけの状態。
まだ一歳になってない、まだ一歳にもなってないのに。
このまま目が覚めないかもしれない。
そんな、漠然とした不安が覆い被さってくるような気持ちでした。
主治医に聞きたい事は山ほどあるはずなのに、何も言えない。
聞きたい事は、たった一つ。
息子は、目を覚ましてくれますか?
確率なんて聞いても意味がないのに、聞くと安心したりする。その反面、言い知れぬ不安にかられたりもする。
私はいつも何かあるとすぐ検索する、検索魔でした。でも、今回は検索しなかった。
どれにも当てはまる事のない症状はたくさんあるはず。
いくら見たってどうなるかはわからないから。
息子の脳に託そう。だから一切見ませんでした。
毎日の病院、会えるのが嬉しくて眠れずに睡眠時間も1時間程の生活。
不思議と体はしんどくはなかったです。むしろ朝もスカッと起きれて体も軽かった。
でも周りには痩せたね、痩せたね、と毎日のように言われてそれが余計に自分をしんどくさせていきました。
同情なんてされたくない。と思っていても、同情されるような表情を私自身がしていたんだと思います。
それに気付けたのも旦那の言葉があったから。
ICUの一週間、本当に自分自身の生き方が変わりました。
如何に自分が今までいい加減な生き方をしてきたのか、いい加減な子育てをしてきたのか。
思い知らされる一週間でもありました。
夫婦ではあるけど、一人の人として向き合いお互い泣きながら話しをしました。
毎日毎日、病院の駐車場に停めた車の中で、一生分の涙を流したんじゃないかな、と思うほど泣きました。
本当にこれで一生分だったら嬉しいです。
自分を責めて責めて責めて。戻る事の出来ない時間を悔やみ続けて。
周りの事も目に入らずに、ただ自分の心の悲しさつらさだけに浸かって居た時、旦那が私に言いました。
今日、社長に飯行こうって言われて、食いたくもなかったけど行ってん。
案の定、食えへんくって。でも頑張って食って。
で、ふと思ってん。こんな俺の姿見て社長どう思ってんやろ。って、俺は周りに同情して欲しいんか?飯も食えへん自分を見せて同情して欲しいんか?って。俺やお前が食わへんのはそれは自分の勝手や、でも食わへん事で〇〇が良くなるんかな?毎日、辛そうな顔して生活してたら〇〇が良くなっていくんか?って。もしそうやったら食わへんかったらいい!でもそうじゃない、どんだけ辛そうな顔したって〇〇は良くなる訳じゃない。だから俺はこれから前だけ向いて生きていこうって思う。
俺は〇〇の父親やから。
ここ何日か誰に何を言われても響かなかった。
でも、この言葉だけは私を母親に戻してくれた気がします。
痩せこけた体では11キロの息子を抱っこできない。
小さくはあるけれど、一つ進めた気がしました。
娘の参観だなんだで、なかなか書く時間がなくて![]()
最後の合図から30分程たった時に息子の左手が小刻みに揺れているのに気付きました。
手はぎゅっと握られている。ん?と思って、息子の名前を呼びました。○○くん!!○○くん!!
反応はありません。以前、友人の子供の痙攣を見た事があったのと、その友人から痙攣について色々と聞いていたので、少しだけ冷静さを保つ事が出来ました。
時間を確認しながら、119にも電話しました。
電話の最中もどんどん痙攣はひどくなっていきました。
片手だったものが、全身に変わり歯をくいしばった状態で目は
右を向き泡も吹き出しました。
その事を告げると、救急車を走らせます。と言われて私も母子手帳などを用意し、娘と救急車を外で待ちました。
5分ぐらいで到着して、救急車に乗りました。
痙攣もまだ持続してたので、すぐに酸素マスクを付けて受け入れ先の病院に向かいました。
幸いにも大きい病院が3分程の所にあり、そこは息子を出産した病院でもありました。
着くと同時に隊員の方が息子を抱きかかえて走って中に入られていきました。
バタバタと処置をされて、痙攣が止まらない!と声が聞こえてきます。
人工呼吸器が入らないようで、手術着の先生が3人程下りて来られました。
一時間ぐらいたったのかな?先生が来られて説明がありました。
こちらに運ばれてきたときはすでに呼吸をほぼしていない状態だったこと。
今もまだ痙攣があること。
インフルエンザは陰性だったこと。
自発呼吸ができなくなるぐらいの抗痙攣薬を入れているので、人工呼吸器に切り替えていること。
その痙攣薬で眠っていること。
そして、小児ICUのある病院に救急搬送すること。
熱性けいれんではないんだな。そう思いました。
救急搬送には医師が着いてくれて、呼吸の確保と痙攣を確認してくれています。
6歳の娘は弟がどうなるのかと心配で隣で泣いていました。
わたしはずっと、なんで、なんで、なんでこんなことになったの?
そればっかりが頭にありました。
ICUに到着して、外で待っているように言われたので私は娘と外で待っていました。追っかけて来てくれていたパパも合流して私の母も姉家族もみんな来てくれて。
家族控室で待つ時間は今まで感じた事のない時の流れで、頭で色々考えてはいるけど全く頭に残らないそんな不思議な感じ。
息子に会いたい。息子に会いたい。
それだけを願っていました。