みなさん、こんばんわ🙋
6月に通算99勝から足踏み状態が続いていた、阪神タイガース・西勇輝投手でしたが、やっと通算100勝目です👍
ホッとした😭
おめでとう、西くん🙂💕
本当に良かったです😭
あと1勝をもぎ取るのは本当に大変でしたね😩
産みの苦しみと言うか、なかなか簡単には勝てなかったけど、苦労した分嬉しいんじゃないかな?
今年は本来の西くんではないピッチングが続いてましたが、一区切りついたし今後は数字を気にしないで伸び伸びとピッチング出来るんじゃないだろうか?
西くんらしさが戻ればタイガースは心強いと思うし、優勝目指して頑張って貰いたい✊🐯
西くん、おめでとう
本当に・本当におめでとう😀💕
<広島1-4阪神>
◇10日
◇マツダスタジアム
これぞエースだ! 阪神先発の西勇輝投手(30)が5回1失点の好投で史上140人目の通算100勝を達成した。
大台に7度足踏みが続いていたが、ヤクルト3連戦で28失点した苦しい台所事情を救う“8度目の正直”で5勝目。
チームの両リーグ60勝一番乗りを導き、2位チームに約2カ月ぶりに3ゲーム差をつけた。
再進撃の猛虎が一気に首位独走態勢を築きにかかる。
100勝記念のボードを手渡されると、西勇はほっとしたように笑みを浮かべた。
「チームのみんなが、毎試合毎試合声かけてくれて、なんとか『100勝をつけてあげたい』という気持ちが伝わってきました。もり立ててくれた野手の方々に感謝です」。
少し時間はかかったが、8度目の挑戦で達成した記念の白星。味方への感謝が言葉をついた。
広島の強打者を強気も抑えた。
3回2死一塁で、4番鈴木誠をチェンジアップで遊ゴロ。
プロ野球タイの7戦連続本塁打を阻止した。
5回2死満塁では、首位打者を争う5番坂倉を直球で遊飛。
「よっしゃー!」。
雄たけびに気迫は表れた。
通算276試合目の登板で100勝。
腕を振り続けることこそ、西勇の武器だ。
プロ2年目に初めて肩を痛めた時、それをケガと言うのか、分からなかったという。
そんな「ケガ知らず」の原点は、幼少期にあるのかもしれない。
小学4年で野球を始めた当初、西勇は「横投げ」だった。
「子供だったから、一番強くボールを投げられたのが、ドッジボールをしてる時。ドッジボールの要領でまねして投げてみろ、って言われて」。
その後は上手投げになったが、プロに入ってから13年の間も、投げる腕の位置を微妙に変えていた。
「体に分度器を置いたとして、大体70度~85度ぐらい。毎日投げるわけだから、痛くならないように」。
練習中のキャッチボールで80度で投げても、試合では75度で投げることも。
微妙な投げ分けを続けることで同じ箇所の酷使を避け、故障を防いできた。
腕の角度を変えても、球の軌道が変わらないのは、積み重ねた技術のたまもの。
「腕に合わせて、体の動きを変えればいいだけ。いろんなところで投げられる」。
故障を避ける繊細な感覚と体を操る器用さ。
強い体でたくさんの経験を重ねてきた。
2位巨人が敗れゲーム差は以来の3に開いた。
今季5勝目でも、チームにとっては大きな1勝。
前カード28失点の悪い流れを断ち切った。
優勝争いの佳境に大黒柱が戻ってきた。
▼通算100勝=西勇(阪神)
10日の広島17回戦(マツダスタジアム)で今季5勝目を挙げて達成。
プロ野球140人目。
初勝利はオリックス時代の11年4月17日楽天3回戦(甲子園)。
西勇は6月18日巨人戦で99勝目を挙げてから6連敗。
王手から6連敗以上を喫して達成は50年川崎(西鉄=7連敗)81年小林(阪神=6連敗)81年野村(大洋=6連敗)に次いで4人目の難産だった。
▽阪神矢野監督(西勇について)「しっかり粘った勇輝らしいピッチングやった。
100勝の手前で、かなり時間がかかってしまって、それでも意識高く、なんとかしようという練習の姿は見ていた。
これでちょっと吹っ切ってくれたらな、と。
単なる通過点だと思うんで。さらに、150、その上と目指していってもらえればなと思います」
▽阪神梅野(3試合ぶりに組んだ西勇をリード)
「西さんが苦しんで苦しんでの1勝ですけど、乗り越えたからこそ101勝、102勝というステップがあると思う。このゲームをつくれたことがうれしい。100勝というすごい記録を一緒に刻めたということは捕手としても本当に光栄です」
虎党で西くんと原口君のファンで、お世話になっているブロガーさんに教えて頂いた、西くんの記事↓
◆JERAセ・リーグ 広島1―4阪神
(10日・マツダスタジアム)
阪神・西勇輝投手(30)が史上140人目の通算100勝を達成した。
王手をかけてから自身6連敗と苦しんだが、5回5安打1失点で約3か月ぶりの今季5勝目。
8度目の挑戦で、平成生まれでは巨人・菅野に次ぐ2人目の大台到達を果たした右腕が、スポーツ報知に独占手記を寄せた。
100勝というのは本当にうれしいですね。毎試合声をかけてくれたみんなの気持ちにようやく応えることができました。
最近は苦しい登板ばかり。
でも、家でテレビを見ていた息子に言われました。
『パパ、楽しそうじゃないよ』って。
自分で自分を苦しめてた部分があったのですが、もう一度楽しんで野球をやってみようと思えました。
僕に関わってくれた全ての人に感謝です。
健康でいられるのはスタッフさんに体をケアしてもらい、けがを未然に防ぐことができたから。
白星を積み重ねることができたのも歴代の監督に起用していただいたお陰だと思います。
17年に左手首を骨折した際には妻が気分転換も兼ねて外に連れ出してくれました。
両親や姉もタイミングよく声を掛けてくれる。
みんなの存在が笑顔でいられる理由です。
ただ、あの時だけは不安でした。
19歳の頃、顔面神経まひに襲われました。
治療法のない病気で、部屋にこもるしかない。
もう無理かも…と思った僕の支えは言葉の力でした。
メンタルの本を読みあさったこと。
プラス思考になれたきっかけです。
また、いいと思ったことは今も続けていて、例えば(オリックス時代の)森脇監督の「微差は大差」「維持は後退」という考え方はつらい練習に取り組む度に頭をよぎります。
誰かに言われたことをどれだけ感じ取れるか。
そこに自分なりの肉をつけていくことが、野球が上達するための秘けつだと思います。
何かを捨てて何かをしないと成長できない―。
僕の信念です。
1年目の夏。
2軍の酒井コーチと小林コーチに「(プレートの)一塁側から投げていいですか?」と直訴しました。
当時、他人と違うことをしないと無理だなと行き詰まっていて。
およそ2足分の違いですけど、もう世界が違うんですよ。
それまで捕手のミットしか見えなかったのに全部見える。
打者も、捕手も、審判も。視界が一気に開けました。
12年前は一塁側から投げる右投手はほとんどいませんでしたが、自分が先駆者になれる。
挑戦しない理由はないですよね。
3年前の中日戦(※)では速球系はフォーシームを投げずに全部ツーシームを使いました。
前の試合で直球ばかり打たれて…。
「どうせ打たれるならあがいた方がいい。投げ方とか変化球を変えたりする機会でもある」とオリックスのエースだった金子さんが言っていたので、思い切って試しました。
結果的に調子が悪い時の引き出しが増え、今に生きている試合です。
おぼろげながら、野球人生のゴールはイメージできています。
衰えはいつか来るものだし、体力は33歳から下り坂と言われていますが、野球を嫌いになって終わりたくはありません。
後悔だけはしないように、逆算の毎日。やっと100勝もできたので、これからは思い切り楽しく、優勝に向けて腕を振り続けていきます。
(阪神タイガース投手) (※)18年5月31日の中日戦(ナゴヤD)では捕手の若月と話し合い、ツーシームを多投。
5回7安打3失点で6敗目を喫したが、復調のきっかけをつかみ、その後3連勝した。
◆西 勇輝(にし・ゆうき)1990年11月10日、三重県生まれ。30歳。菰野高から08年ドラフト3位でオリックス入団。
12年10月8日のソフトバンク戦で無安打無得点試合。
18年オフにFAで阪神移籍。
19年にゴールデングラブ賞。
通算276試合100勝87敗1セーブ、防御率3・18。181センチ、81キロ。右投右打。年俸2億円。
ここまで積み重ねた数字は本当に立派ですし、63番の呆気ない西くんがなんだか懐かしく思えますわ🐤
マー君命で箱推しはあくまでもイーグルスだったけど、オリックスの西勇輝くん、凄い気になるってマウンドでニコニコしている顔を見てロックオンですわ😃
マー君がメジャーに行ってしまい、こめたんの楽しみはメジャー中継のマー君と札幌ドームに来る、西くんとイーグルスに変わった❗
顔面神経麻痺になり、マウンドで笑顔が消えた時期もあったけど
若い時にサインを断る事がステータスと勘違いして、坂口君から雷を落とされて、西くんは塩対応からファンに優しい西くんに変わった❗
少しずつ・少しずつ大人になり、少しずつ・少しずつエースの自覚が出て来て、本当に素晴らしいピッチャーになったと思ってます。
ハムの松本剛の打球が手首に直撃して、骨折した時はもう戻って来ないんじゃないかと本当に心配だったけど、リハビリを頑張って復活してくれた😭
コロナ禍の中いろんな事があったし、なんとなくまたやらかす気もするんだけど・・・・
それでもこめたんは西くんは良いピッチャーだと思うので応援し続けます✊
この儀式が堪らなく大好き😍
西くん、ここからあと100勝目指して頑張ってくださいね☺️
大ケガは骨折だけだし、まだまだやれると思っているので、頑張って貰いたい⚾
西くんならきっと大丈夫😌💕