父の他界を各所に連絡

兄「で、俺いつ帰ればいい?」





今でしょむかっ!!!www

ってか最速でくるってもんでしょw

涙引っ込んだwwww

父の姉とその息子さん(私にとっては従兄)来る
父:看護婦さんに着物着せてもらった(点滴だけだったのでガリガリだ)

一足先に帰り方付けをする。
従兄も来て一緒に晩の準備。
(米たき忘れる)

父帰宅
その他親戚来る(と言っても父と母それぞれの兄弟 県内在住。さすがに県外は来れない兄もムリ)

祭壇(天理教のため)などの準備
家族葬でする
自宅でする

通夜は明後日。葬儀はその次

その日は夕飯食って解散


翌日は掃除・片付け


18日は通夜。父方の兄弟は皆父の姉の所に泊まるとのこと

19日は火葬・葬儀
   頭部が崩れてしまっていた。思ったより結構焼け崩れてしまっている
   のど仏が残っていた
   遠回りして帰った

通所記憶
23.10~25.2 くわの実(泊まりはラポール・ちくまの)

25.3~25.9  ニチイ(泊まりはラポール・ちくまの)

25.9ちくまのにてほかの入所者に対して手を上げ、出禁になる
    篠崎医院並びにたきべのに変更
~26.3.12

26.3.12~9.3 ラポール 医者は小倉医院の岸川先生

26.9.4~10.3 小倉病院に入院(強い薬を抜き入所しやすくするため)

26.10.3~10.16 松本市立病院
 
ほか記録

25年4月 生のジャガイモ、たまねぎを食べる
25年5月 生ごみ食ってた
25年6月 掃除機の音がうるさいと怒られたらしい
その他にも石鹸食ったりしてた。
26年10月16日
午後スマホに病院から電話。
血圧が下がってきて、呼吸も乱れているため
一度様子を見たほうがよいとのこと。

病室に行くと心拍・血圧・・・
などのモニターが着けられていた

母も少し遅れてきた。

手先のいろが変わり始めていて。
最期は息を吸うチカラも出なくなったのだろう。
呼吸も途切れ途切れになり・・・

16:55
永眠





お疲れ様でした。
それと、ごめんなさい。

認知症というのを病気だと理解しているつもりでも
感情が付いていかないまま終わってしまったように感じる。
ひどいこと言ったり、手が上がったり(通報される アセ)
申し訳ないのと、後ろめたいのとで、
今はごめんなさいしかいえません。

う~浸っているかんじでいやんな感じだな






先生が永眠の宣告した本当にその直後に
(同時と言っていいくらい)
入院直前までお世話になっていた
施設の所長さんが様子を見に来てくださいました。
最後の最後まで本当にこの施設の方々にはお世話になり、
気にかけていただき、頭が上がりません。
ありがとうございました。