「明石」
「ホツマツタヱ」
「柿本人麿」
私的に勝手な歴史妄想、
を歩くシリーズ🌀🚶
今回は、明石を出て
芦屋へ🚋
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なんか、駅前の時計台が、
もうゴージャス✨
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JR芦屋駅から徒歩5分🚶
阿保天神社。
梅が咲き始めてました。
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ご縁は、産土神社より。
産土神社、
阿保神社と同じ、
阿保親王、
菅原道真、
が祀られています。
阿保親王は、
芦屋で亡くなられたそうです☝️
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![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/9d/a4/j/o1080081015393960112.jpg?caw=800)
お二方の共通点は、
お二方とも、
あらぬ罪で大宰府に左遷、
されたこと。
阿保親王は、810年。
菅原道真は、901年。
梅原猛さんは、
「水底の歌」の中で、
柿本人麿も、
政争の中で、流罪になり
亡くなった。
と書かれています。
私は、赤穂浪士が、討入り前に、
月照寺に梅を奉納しているのを知り、
梅原猛さんの刑死説、あるのかもしれない
と感じてしまいました🤔
真実はどうなんでしょうか。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/ce/ae/j/o0810108015393960160.jpg?caw=800)
阿保親王
平城天皇の第一皇子。
文武両道、民からも慕われた方。
天皇になってもおかしくなかった方、
ではないでしょうか。
ですが、左遷後、
824年、大宰府から戻り、入京は許されますが、
826年、子息らは、皇族の身分から臣下の籍に。
その姓は、在原朝臣姓。
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柿本人麿
在原業平
共通点は、どちらも、
三十六歌仙
とされる歌の名人。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/a4/37/j/o1080081015393961676.jpg?caw=800)
そして、在原業平、
その兄、在原行平、
ともに、歌には定評があり、
百人一首に、歌が残されています。
在原行平は、中納言行平として。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/f8/ca/j/o1080081015393961679.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/1d/34/j/o1080081015393961680.jpg?caw=800)
百人一首(16番)
中納言行平
――――――――――――――――――
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
まつとし聞かば 今かえりなむ
――――――――――――――――――
お別れして、因幡の国へ行く私ですが、
峰に生えている松の木のように、
私の帰りを待つと聞いたなら、
またすぐにでも戻ってまいりましょう。
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因幡守として、旅立つ前の宴の席で
詠まれた歌。
この歌、居なくなった猫が戻ってくる
おまじない、としても知られているとか🐈⬛🐾
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/a9/c3/j/o0810108015393961690.jpg?caw=800)
そして、柿本人麿の歌のほとんどは、
その巻一、巻二、に偏っていて、
柿本人麿の最期の歌もまた、
巻二、に記されています。
梅原猛さんが、そう考えるのは、
紀貫之によって編纂された
「古今和歌集」に書かれていることを
もとに推察されています。
実は、この 紀貫之、
柿本人麿の親戚に当たるそうです☝️
柿本人麿の謎が多いながらの定説は、
江戸時代、賀茂真淵らによるもの。
柿本人麿の生きた時代から、1000年以上後。
それより、父や祖父から聞かされた伝聞の
心情を汲み取り、記されたことの方が
説得力があるのでは?と、梅原猛さんは
謎解きを進められています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/dc/b9/j/o1080081015393963623.jpg?caw=800)
そして、紀貫之、
又従兄弟に
紀柿本僧正真済、という方がいます☝️
この方、
空海さんの直弟子の一人。
十代弟子と呼ばれる高弟だとか🤔
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240126/19/komekome45/a7/09/j/o1080081015393963630.jpg?caw=800)
柿本人麿が、持統天皇より賜ったとされる
奈良、柿本山の土地、
その柿本邸宅跡に
柿本人麿を護る神宮寺、
影現寺を建てたのは、
この真済上人。
月照寺の十一面観音菩薩は、
その影現寺から遷されたものだそうです。