「明石」
「ホツマツタヱ」
「柿本人麿」


私的に勝手な歴史妄想、
を歩くシリーズ🌀🚶







今回は、明石を出て

芦屋へ🚋






なんか、駅前の時計台が、
もうゴージャス✨



駅南側へ。

テツオでもないのに、
見たことない電車に反応する🐾




JR芦屋駅から徒歩5分🚶

阿保天神社。




梅が咲き始めてました。






ご縁は、産土神社より。


産土神社、
阿保神社と同じ、

阿保親王、
菅原道真、

が祀られています。

阿保親王は、
芦屋で亡くなられたそうです☝️





お二方の共通点は、

お二方とも、
あらぬ罪で大宰府に左遷、
されたこと。

阿保親王は、810年。
菅原道真は、901年。




梅原猛さんは、
「水底の歌」の中で、

柿本人麿も、
政争の中で、流罪になり
亡くなった。

と書かれています。



私は、赤穂浪士が、討入り前に、
月照寺に梅を奉納しているのを知り、

梅原猛さんの刑死説、あるのかもしれない
と感じてしまいました🤔

真実はどうなんでしょうか。





阿保親王
平城天皇の第一皇子。
文武両道、民からも慕われた方。

天皇になってもおかしくなかった方、
ではないでしょうか。

ですが、左遷後、
824年、大宰府から戻り、入京は許されますが、
826年、子息らは、皇族の身分から臣下の籍に。

その姓は、在原朝臣姓。




こちら、阿保天神社には、
阿保親王の子、

在原業平

も、一緒に祀られています。






柿本人麿
在原業平

共通点は、どちらも、
三十六歌仙
とされる歌の名人。




そして、在原業平、
その兄、在原行平、

ともに、歌には定評があり、
百人一首に、歌が残されています。

在原行平は、中納言行平として。









百人一首(16番)
中納言行平
――――――――――――――――――
たち別れ  いなばの山の  峰に生ふる
まつとし聞かば  今かえりなむ
――――――――――――――――――

お別れして、因幡の国へ行く私ですが、
峰に生えている松の木のように、
私の帰りを待つと聞いたなら、
またすぐにでも戻ってまいりましょう。




因幡守として、旅立つ前の宴の席で
詠まれた歌。


この歌、居なくなった猫が戻ってくる
おまじない、としても知られているとか🐈‍⬛🐾



続く、
百人一首(17番)は、
在原業平、

竜田川いっぱいに流れる紅葉の葉を
唐紅色、に絞り染める(くくり染め)技法に
模して詠んだ歌🍂



百人一首(17番)
在原業平
――――――――――――――――――
ちはやぶる  神代も聞かず  竜田川 
からくれなゐに  水くくるとは
――――――――――――――――――

不思議なことが起こっていたという神代の昔。
その時代でさえも、聞いたことがない。

竜田川を、真っ赤な紅色に、
くくり染めてしまうとは。





百人一首、懐かしいですね。
なんとなく耳に響きが残っているもので。


またこうして、年をとり、違う角度で
出会うとは思っていませんでした😅






そして、
阿保親王の父、
平城天皇。

平城天皇もまた、
柿本人麿に心酔した一人。


生きた時代は、柿本人麿より
100年ほど後の時代。

それでも時代を越えて、柿本人麿の歌に
思いを寄せた歌を詠まれたほどに。




梅原猛さんは、

万葉集は、柿本人麿を鎮魂するための
平城天皇の時代の勅撰和歌集だったのでは。

と推察されています。




その理由に、万葉集は、

759年、大伴家持によりに、
二十巻にまとめられ、
現在の形態になっていくのですが、

それ以前、

753年、「第一次万葉集」として撰集されていた
と云われているそうです。
現在の巻一、巻二が
それにあたると言われています。




そして、柿本人麿の歌のほとんどは、
その巻一、巻二、に偏っていて、

柿本人麿の最期の歌もまた、
巻二、に記されています。




梅原猛さんが、そう考えるのは、

紀貫之によって編纂された
「古今和歌集」に書かれていることを
もとに推察されています。


実は、この 紀貫之、

柿本人麿の親戚に当たるそうです☝️



柿本人麿の謎が多いながらの定説は、
江戸時代、賀茂真淵らによるもの。
柿本人麿の生きた時代から、1000年以上後。


それより、父や祖父から聞かされた伝聞の
心情を汲み取り、記されたことの方が
説得力があるのでは?と、梅原猛さんは
謎解きを進められています。




そして、紀貫之、

又従兄弟に
紀柿本僧正真済、という方がいます☝️

この方、
空海さんの直弟子の一人。
十代弟子と呼ばれる高弟だとか🤔





柿本人麿が、持統天皇より賜ったとされる
奈良、柿本山の土地、

その柿本邸宅跡に
柿本人麿を護る神宮寺、
影現寺を建てたのは、

この真済上人。



月照寺の十一面観音菩薩は、
その影現寺から遷されたものだそうです。





空海さんが、明石の人麿山に、
月照寺の前の楊柳寺を建てられたのは、

直弟子の親戚であり、
国のために尽くされた方、

柿本人麿
縁の地での供養

だったのではないでしょうか。





芦屋、

次にもう一つ、
柿本人麿と関係があるかも

な場所に向かいました🚶
また次回に。








📝追記

二月、朔日参り。

柿本神社と月照寺。



こちらの梅は、まだまだでした。


柿本神社の梅は、満開になると宝船に。


まだ少し先、
楽しみに待ちたいと思います。












お読み頂きありがとうございます🌳