2021/6/12参拝ブログ

阿保親王を巡りながら② (兵庫  芦屋)


その①でずっと阿保親王陵と書いてしまってましたね、

阿保親王墓が正しいですね、すいません。



カラスに導かれるように、阿保親王墓に歩いていったところからですね。


では続きを。



ーーーーーーーーーーーーー



本当にこんなところにあるのか、と思うぐらいびっちり住宅地ばかりのところを歩いていきます。

10分ぐらい歩くと、突然緑が顔を出し、


阿保親王墓に着きました。

まわりは住宅地ながら、人通りもすくなかったので、祝詞を奏上し、ご挨拶をした後、

恥ずかしながら、朝からの一連の自分の心情を伝えました。



すると、風がぶわっーとまわりの木を揺らした後、

自問するような形で頭の中によぎりました。


誰が眠っているかということも大事ですが…

「誰かを想って手を合わせることに意味はないですか?」

「誰かを想って手を合わせる人が、
次に歩み出す1歩が歪んでいると思いますか?」


声を聞く力などない自分、この頭によぎったものが自分の内から出たものか、見えない何かに与えられたものか分からないまま、

ありがとうございました。

とお礼を伝え、阿保天神社に向かいました。




10分ほど歩き、阿保天神社に。

道中、
先ほどの感覚はなんだったのか、が半分。
頭によぎった2つのこと、が半分。

飲み込めない何かを噛み続けるような感じのまま歩きました。


手水舎。
水は止まってますが、コックを引くと水が出たので清めさせて頂いた瞬間、

手水舎後ろの木に引きつけられ、


手水舎から斜めに高くのびていく枝葉に
飲み込まれるように、かがんで膝をついた瞬間、

ストン、と自分の中で何か音がして軽くなったように感じました。
手水舎によく「洗心」と書かれていることありますが、まさにそんな感じで。


こちらの狛犬様を前に
「人は人、自分の内にある2つを大事にしなさい」
そう言われているように感じ、


こちらの狛犬様は、ただそれを頷いて見守ってくれました。




人は人、自分は自分。

誰かを想って祈ること、
手を合わせること、大切に。

その想いに恥じない
自分の次の1歩の行動、大切に。





本殿。


本殿左手裏に、
あまり見たことがないぐらい、青々とした枝が力強く次の枝を脈々と伸ばしていました。



本殿右手、銀杏木も足元に次の木がもう育ち始めていました。


境内社の狛犬さん


また一つ学んだの
とあたたかく微笑んでくれました。

ありがたや。


歴史はまだまだ発見されている最中のものもある。
それらと先祖を祀る想いは、また別なわけで。

今は、こちらと宮内庁、親王寺で、しっかりと阿保親王は祀られていました。

歴史の史実
そこにあるもの
自分の想い

そんなバランス感覚を学びました。
神社巡り、まだまだ面白い。

そう思わせてくれた
阿保親王巡りでした。


さてと昼食にしようと駅に。
道中の花。
これも紫陽花の一種なんですかね。


駅前、フレッシュネスバーガー。
クラシックアボカドバーガー。
マスタードとの相性、うまし。

最後にここで読んだ
打出天神社の打出の小槌の言い伝えを。

昔、この土地に棲む龍神は、願ったものを出すことができる小槌を持っていました。

ただこの小槌で打ち振り出したものは、鐘の音がすると消えてしまいます。

龍神は持っているのが面倒になり、朝廷に渡しました。
朝廷は珍しいものを頂いたと喜びましたが、
神社やお寺の鐘の音で消えてしまうので、扱いに困り、

打出の長者に褒美として授けました。
長者は村の人に何が欲しいか聞いてみると
「黄金の小判」と言ったので、願いながら小槌を振ると小判がたくさん出てきました。

その時、どこかから鐘の音が聞こえて、すっかりなくなりました。
ただ消えた後、長者も村人たちも
「良い夢を見させてもらった」と笑ったそうです。


見えるものと見えないもの、その間で楽しめる自分でありたいと思います。

長々、お読み頂きありがとうございました。

次回、六甲で磐座まで行けずだった天穂日命、芦屋神社です。