<ひふみ神示 第五巻 地(九二)つ巻 第八帖>
***** <第八帖 (145)> *****
祓ひせよと申してあることは何もかも借銭なしにする
事ぞ。
借銭なしとはめぐりなくすることぞ、昔からの借銭は
誰にもあるのざぞ、それはらつてしまふまでは誰に
よらず苦しむのぞ、人ばかりでないぞ、家ばかりで
ないぞ、国には国の借銭あるぞ。
世界中借銭なし、何しても大望(たいもう)であるぞ。
今度の世界中の戦は世界の借銭なしぞ、世界の大祓ひぞ、神主
お祓ひの祝詞(のりと)あげても何にもならんぞ、
お祓ひ祝詞は宣(の)るのぞ、今の神主 宣(の)って
ないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。
あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んで
ゐるではないか、
臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもって
ゐるからぞ。
悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにして
ゐるでないか、
これでは世界はきよまらんぞ。
祝詞はよむものではないぞ、
神前で読めばそれでよいと思うてゐるが、それ丈では何にもならんぞ。
宣るのざぞ、いのるのざぞ、なりきるのざぞ、
とけきるのざぞ、神主ばかりでないぞ、
皆心得ておけよ、
神のことは神主に、仏は坊主にと申してゐること根本の大間違ひぞ。
九月十九日、ひつ九の。
(昭和十九年九月十九日)
・・・・・しあわせを ありがとう。 無条件の愛を!!・・・・・