ひふみ神示(日月神示)からの学び
◆◆◆い ま だ か ら 考 え る! <その271>◆◆◆
ひふみ神示 第17巻 二曰ん(ジシン)の巻 第十三帖(390)
ひふみ神示 第17巻 二曰ん(ジシン)の巻 全十九帖
第一帖(378)~第十九帖(396)
自(昭和20年9月10日)
至(昭和20年10月30日)
第十三帖(390)
地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、
各々の世界をつくり出している如く、
霊界にも無限の段階があり、その各々に、
同一想念をもつ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつある。
下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、
愛なりと思う、その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。
美も醜となり、愛も憎となり、善も真も そのままにして善となり、
真と現われ得ない場合がある。
其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意がある。
と同時に、+(真善)*(真善美愛)*(歓喜)*(大歓喜)と
現われる神秘なる弥栄があり、
悪の存在、偽の必然性などが判明するのである。
故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、
霊人にとっても、極めて危険極まりないものではあるが、
半面に於ては、極めて尊いものとなるのである。
下級霊人自身が(善)なりと信じて行為することが、
地上人には(悪)と現われることが多いのである。
何故ならば、かかる下級霊と相通じ、
感応し合う内的波調をもつ地上人は、
それと同一線上にある空想家であり、
極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性をもち、
他の世界を知らないからである。
それがため、感応してくる下級霊の感応を、
全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、
遂には、自身自らが神の代行者なり、
と信ずるようになるからである。
所謂(いわゆる)、無き地獄をつくり出すからである。
地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。
奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの
現われであることを知らねばならない。
かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。
浄化し、改心し得ないものである。
また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。
脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。
総て戒律的の何ものによっても、
霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。
半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、
半面に於て同様の退歩が必然的に起ってくる。
それは強(シ)いるが為である。
神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。
戒律あるところ必ず影生じ、闇を生み出し、カスが残るものである。
それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、
影の世界である。
中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、
地上人に伝えられるのであるが、
それはまた霊界の文字となって伝えられる。
霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成る。
直線的なものは、月の霊人が用い、
曲線的な文字は、太陽の霊人が使用している。
但し、高度の霊人となれば文字はない。
ただ文字の元をなすゝと◯と+があるのみ。
また高度の霊界人の文字として、
殆ど数字のみが使用されている場合もある。
数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。
しかし これは不変のものではなく、
地上人に近づくに従って漸次変化し、
地上人の文字に似てくるのである。
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