社名の由来について | 「米吾」オフィシャルブログ

社名の由来について

「株式会社米吾」 、オフィシャルブログの第1回目はまず「株式会社米吾」 についてのご紹介です。会社の顔でもある社長の内田雄一朗さんにお話を伺ったことを基に、社史で肉付けをしてまとめてみます。「米吾」 の生い立ちや事業をお伝えするためには、その歴史も少し紐解いていかなければなりません。ここでも年号や年代がたくさん出てきますが、歴史はまた後日、順序立てて詳しくご紹介していきますので、まずは読み物としてお楽しみください。
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内田雄一朗さん






社名の由来について

「株式会社米吾」 の本社は鳥取県米子市にあります。「米吾(こめご)」と「米子(よなご)」、これは何か関連があるのでは、と内田社長に伺ってみると…



「よく言われますが、実は全く無関係なのです。」



とのご回答。実は、「米吾」 は「米屋吾左衛門」の略。そして、この「米屋吾左衛門」とは、江戸時代に、米の回船問屋を営みながら、鉄鋼・綿を扱っていた「株式会社米吾」 の前身です。



回船問屋は今でいうところの流通業、米問屋他は販売業です。米屋なのに船、米屋なのに鉄や綿、と不思議もいっぱいの業態ですが…



「境港から関西や九州に米を船で運んでいたのです。米だけではもったいないのでその他の荷物も一緒に乗せていた、その中に鉄や綿もあったというわけです。」



なるほど、米屋という屋号が示すとおり、お米を中心として全てが繋がっていたのですね。



その初代は五左衛門さん、米屋五左衛門を名乗っていました。1600年代中頃ともいわれる創業当時、米子市は伯耆国(ほうきのくに)と呼ばれ、領主の住まう米子城の城下町として栄え、山陰随一の商都として賑わっていたそうです。



米という当時の産業の根幹を担う商品を扱った「米屋」はその風土の中で商家としての伝統を紡いでいきます。
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9代目まで代々の当主に受け継がれたそうです。「米吾」はそれから約250年後、10代目内田吾吉郎が業務の一部門を担う会社として創業することになりました。歴史を作った先代達に敬意を表して「米屋吾左衛門」の頭文字からつけられた社名を掲げ、“初心忘るべからず”と意気込みを表明したことが伺えます。

五代目米屋吾左衛門

吾左衛門の名は江戸時代の間、



荒海に乗り出した先人のチャレンジ精神を受け継ぎ、14代にあたる内田社長も数々の改革に取り組まれました。それはこうした由来を持つ社名があればこそ、かもしれません。



蛇足ではありますが…見方を変えると何でも略して称するイマドキの風潮にも通ずる、時代を先取りした社名でもありますね!