「チェーサーが終わる日」というNHKドキュメント番組を見た。

チェーサーとは朝鮮人が民族の言葉と文化を伝えようと子弟教育の為に自ら作った初等教育学校だ。

戦後国内に残留した約60万人の朝鮮人が作った学校は全国で300校にも上ったという。取材当時大阪に4校あり、その中の1校が廃校になる一年を追った作品だ。

以前、

「オモニの島 わたしの故郷〜映画監督・ヤンヨンヒ〜」

初回放送日: 2022年10月30日

映画監督ヤンヨンヒさんは朝鮮半島と日本の歴史のうねりの中を生きる自分の家族を描いてきた。母親にカメラを向けた最新作「スープとイデオロギー」に込めた思いを聞く。 ヤンさんの母親は南北分断が進む1948年に韓国済州島での大虐殺「4・3事件」を生き延びて日本に来た。北朝鮮の理想を頑なに信じ、ヤンさんの兄たちも”帰国事業”で北に渡った。ヤンさんのカメラがそこに秘められた思いを明らかにしてゆく。「私は北朝鮮も総連もタブーにしない。私は”腫れ物”じゃないことを人生をかけて伝えてきた」と語るヤンさんの過去の映画作品もたどりながら、家族と国家に向き合い続ける姿を描く。

 

という番組も心に残っていて、少しでも知らないことが知れると期待して今回視た。

その中で、主人公の父親(在日一世)が主人公との会話で、自分たちは「亡国の民」だと語る。その言葉がとても印象に残った。

 

世界中に散らばったユダヤ人を始め、移民や難民はどの時代にも存在する、特別な人達ではない。クルド人は大国が引いた国境にまとまり切らないで分断された民族だ。

今ヨーロッパに押し寄せるアフリカ・中東地域からの難民は命懸けで地中海やドーバー海峡を越えてくる。その数は数十万を超えて数百万に上るという。

世界一の大国アメリカは先住民族と戦った移民の国だ。中国やインドも多民族の国だ。そんな風に異国に移住したり、望まない支配を受けて大国に飲み込まれたりと国の成り立ちはなかなかに複雑だ。

日本でも私の居住地は古くより渡来人が多く住み着いたところで、

ああこの姓はあちらの子孫だね~って姓が普通に多かったりする。彼らは技能集団であった故、うまく日本に溶け込んだのだろう。周りから浮いた感じがしない。

だけど国を捨てた?捨てざるを得なかった人達は新天地で苦労する。

朝鮮の人達もそうであったように差別され社会の弱者と位置づけられてしまう。

今でも人権意識の低い国である。分かってはいたが、「チェーサーの終わる日」では差別され石を投げられたと言う在日一世二世の苦労に胸が痛い。

チェーサーはそんな彼らが助け合って生きる中心となった。その濃い繋がりは異国で差別される環境から彼らを守る知恵でもあったし、元々の民族性でもあったようだ。

主人公の父は遅ればせながら学校で民族教育を受け朝鮮人としての誇りを持つようになったと言う。あの教育が無かったら今の私は無いと。これにも心打たれた。

今の日本の教育は日本人に日本人たる誇りを持たせているのだろうか?と。

 

チェーサーの教師であった主人公は金日成や金正日の肖像画を家に飾り、ひたすら日本を憎み、子供達の民族教育に力を入れてきた。その信念が崩れたのがあの「拉致問題」である。小泉首相が拉致被害者を帰国させたあの年2002年。自分が信じてきた祖国はあんな酷いことをしてきたのかと。

結局それ以来朝鮮人学校は生徒が減り続けて今回の閉校に至る。

主人公は知り合いに問う。「朝鮮人に生まれてどう思う。良かったと思う?」と。

「いや、難しい、、、」と明確な答えは無かった。「私たちは日本人でも無く、韓国人でも北朝鮮人でも無いんだよね」とその葛藤を抱え続けているという。

祖国はどこですかと問われたら、今はその問いはしんどくて悩んでしまうという。

 

私は若い頃海外滞在を4年ほど体験した。日本人学校を中心とした生活をしていたものの、日本文化が恋しくて堪らなかった。あの頃、自分の母国が世界から後ろ指さされるような存在だったら、とても辛かっただろう。幸い日本は経済力も文化も誇らしいものだったから、異国でも大きな顔をしていられた。だからそれが反対だったら、本人と祖国は別だよなんて話は一見筋が通った理屈だけど、そういう割り切り方は実際はとても難しい。

 

だけど、もし私が今の朝鮮人の立場に置かれたら、たぶん私のルーツは朝鮮だという事には言葉や文化には誇りを持って受け継ぐけれど、今の体制は残念ながら受け入れられないし、自分が帰れる国ではないのだと言うと思う。

 

朝鮮から日本に移り住んだ人達はその時点で本国に居場所が見つけられなかった人達では無かろうか。ならば、日本でその貧しさから抜け出し自分の居場所を作りその社会の一員として周囲に認めてもらえる事を目指すべきだと思う。

海外に移住した日系人がもう自分はアメリカ人だ、ブラジル人だと言うように、

日本をルーツとすることは大事にしながらも住み着いた国の構成員としてその国の人になるべきではなかろうか。

 

時々、日本に住み着いた外国人に「日本に不満があるなら本国に帰れ」という心無い言葉を投げつける輩がいるが、全くの見当違いの意見だ。

もちろん、戦後78年経って日本社会の一員でありながら、その自覚に欠け、祖国に固執する人達には、いい加減にしろよ!と言いたい部分もあるけれど。

それは日本人の人権意識の低さにも原因があって、未だに国籍だけで差別意識を持っている人達が多いせいでもある。

今、K-POPが世界中で人気になって、若い人たちは「韓国人?格好いいね」と言われたと嬉しい場面もあった。本国の事情は事情として決して錯覚すべきではないけれど、そうした一面だけでも文化というものの役割の大きさを感じた。

だから本当は葛藤なく言いたい、私は「K-POP」が大好きなんですよと。

(この人は差別意識持ってるなぁと言う人には残念ながら言わないんだけどね)

 

何れ、日本は他国をルーツとする人達が増え続ける国になるだろう、

もう髪の色や肌の色が違うアスリートやタレントが活躍している、日本人として。

そうした事実を認めて新たな国造りをしていかなくちゃ。

まずは、韓国人DJ SODAさんの性被害の事件でも露呈してしまった人権意識の低い日本人の存在。かなり批判されたから少しは気付いてくれたかな。

 

勿論、スパイ天国と言われる日本。するべき用心はしっかりしなければならないけれどね。SODAさんも服装のせいで被害に遭った訳じゃないけど、全てのファンが善良なんて決めつけないで用心はして欲しかったな。そういう経験が無かったから仕方ないとは思うけど。ファンの心理は空港で揉みくちゃにしちゃうほど、狂暴さも持っているのでは?