無免許運転と危険運転と感情論。懲役50年は長い? | 〜好き勝手な書き物〜・白・ のBLOG

無免許運転と危険運転と感情論。懲役50年は長い?

京都亀岡の暴走事故(事件)で、死者が出て、加害者は無免許運転だった事がわかり、あれで危険運転致死罪の適用がされないのはおかしい!無免許は危険運転だろ!という声が被害者遺族等から上がり、それをマスメディアが連日取り上げた結果、現在は国会議員たちが、危険運転致死罪の適用をしやすいように動いてるみたいです。


僕は、今回の事件に関して、個人的な感想としてはそりゃあ、犯人ふざけるな、と思います。無免許運転は今回だけでなく、常習だったわけで、しかも徹夜で乗り回して、事故が起きない方がおかしい。確率論で事故るに決まってる。(しかもチャラチャラして不良で、個人的にはかなり苦手な感じの奴らだ。)



ただ、それと、厳罰化の流れは、別だと捉えてる。


今回の事故(事件)は、加害者が無免許かどうかは実は問題ではない。あの加害者であれば、仮に免許を持ってても同じような運転をしてただろうし、そうすれば、どっちみち事故はおきてた。無免許は許されないが、それよりも、運転者の意識が一番大きい。


根性試しだか居眠り運転だか知らないが、それと、無免許とは別の論点だ。

根性試しなら、これは殺人に近いし、免許持っててもやってただろう。

居眠り運転だったのであれば、それは免許保有者でも多くの人がやってるから、これも無免許とは関係ない。

仮に、居眠り運転を危険運転である、と定義付け、危険運転致死罪に入れたり、準用したりしようとしても、法律的にきっと不可能なのだ。


居眠り運転をしようと思ってする人なんていない、つまり、居眠り運転は過失犯。危険運転致死罪が適用されるのは、主に故意犯。過失犯を、故意犯の罪で裁くことはできない。

これは多分、罪刑法定主義かな?(違ってたらゴメンなさい)


亀岡の事故もそうだし、バス事故もそうだが、問題の本質がズレてる。亀岡の事故もバス事故も、居眠り運転が直接の原因であるわけで、無免許とか、規制緩和は関節的なもの。

運転する側の意識を変えるよう動かなきゃいけないのに、厳罰化だの規制緩和が悪いだの言っていては、また同じ事故が繰り返し起こるだけだ。


今回は加害者側が未成年、無免許、前科持ち、さらに個人情報の流出と、いかにも攻撃しやすい対象だったからメディアも何の遠慮もなく攻撃しまくってるが、これが加害者が免許持ちだったらどう報道してたのだろう?仮に加害者が40代のサラリーマン、過労の末の事故であったなら、国民は、この事故をどう捉えたのだろうか?

親族を亡くした被害者遺族の感情は、全く同じなのだが。



亀岡の事故で、被害者遺族が危険運転致死罪の適用への署名を集めてるというニュースが出てる。

危険運転致死罪で裁判ができても、裁判所はどう判断するだろうか?適用されないとなったら、これは無罪だ。一事不再理の原則では、同じ事案を別の罪で裁けないわけで、無罪放免の恐れもマスコミは報じるべきだよな、とも思う。

民事があるといっても、これは賠償の話で、加害者側にお金がなかったら、それすら厳しい。


そもそも、被害者感情を考えろ!なんて言い出すと、はっきり言って、物を盗まれた、壊されただけでも、犯人死んでくれ、と思う時だってあるわけで。

そうなると、突き詰めると「バカだなお前」と言っただけで死刑だ、なんてことになる。独裁国家では、似たようなことになってる。これは極端な話だが、厳罰化の流れとは、その傾向に向かうということだ。


被害者感情の目線は凄く大事だ。同じくらい、社会秩序を維持するための法律も大事だ。

法律は、厳しくしすぎると、事実上の無法状態になる。

厳罰化で、居眠り運転や無免許運転は、懲役何十年だ、なんてなると、その恐怖で救護義務すら果たさず、助かる命も助けられなくなる事案は絶対に増える。それが、低年齢の加害者であれば尚更だ。


自動車運転過失致死罪の刑が、重いか軽いか、又は妥当なのかは、僕には分からない。たった7年というが、じゃあ50年が長いのかと言ったら、アメリカの懲役300年とかに比べりゃ、たった50年と捉えることもできるし、半世紀は妥当だ、と捉えることもできるし、長過ぎ、と捉えることもできる。


僕が同じ事件に巻き込まれたら、犯人に死刑を望むと思う。死刑じゃないなら、犯人が娑婆に出てきた時にはこの手で・・・と思うだろう。


当事者は、それでも構わないと思う。100%感情論でもよい。難しい法律の話は弁護士に任せればいい。


でもだからこそ、周りの他人達はもう少し冷静に捉えて、被害者感情と法律の運用とを分けて考えないといけないんじゃないか?と思いましたよ、と。