3.11の時、一般の人のTwitterの使い方を思い出した
(長文失礼…)
震災時のTwitterの使い方で一つ思い出した。震災の時、TwitterやGmailなんかは全くダウンせず使えた。で、Twitterの話だが、Twitter上で多かった声が、人探し。これは特に有名人がReTweetをやっていて、それなりに成果があった。
じゃあ一般の人がするそれこそ"呟き"はどうだったか。これは特に、離れて暮らす人の心配が多かった。例えば、名古屋に住む人が、札幌に住む友人を心配する声なんかがそれだ。
連絡も取れないしそれなりに揺れたらしいし、場所によっては津波警報や大津波警報だとかが出てる。液状化や落下物などなど、、、あそこに住んでる友人は大丈夫だろうか!?
という声がけっこう多かった。
そこで何が起きたかというと、札幌に住む人がTwitter検索で"札幌"と検索をかけ、その呟きに「札幌はあまり揺れてないから、その友人も多分大丈夫」というやり取り。札幌に住む複数の人達が自発的に行っていた。しかも、札幌に限らず、"揺れた"と言われてる地域でこの現象は起きていた。
私もその声に気づいてからは、通信網が復活するまでは、微力ながら札幌に住む友人や親族、知り合いの心配をしてる人に対して、大丈夫であろう旨を伝えることもやっていた。
(迷惑だったかな…)
(いや、でも、その人に対しての反応がなくて、かつ必要以上に心配してるものに関しては、やっぱり言ってあげて良かったのかなと思う。)
函館など、津波がきた地域なんかは「私は函館の○○というところに住んでいますが、ここは津波が全然来てません」といった声もあった。同じ函館市でも内陸と海岸沿いがあり、さらに、「海岸沿いでもここは大して津波は高くない、○○方面はけっこう酷いみたいだけど…」と言った声なんかも。
同じ函館でも、テレビのニュースで報道されるずっと前に、ピンポイントで被害の状況をある程度知ることができたのだ。そこに住む人が、ここは大丈夫だからより内陸のところは大丈夫、というやり取りなんかもあって、個人が個人への情報発信、情報収集のためにTwitterを使っていた。
一人の人が大丈夫というのと、100人の人が大丈夫というのとでは、圧倒的に後者の方が安心する。数が多ければなんでもいいというわけではないが、少なくとも被害状況なんかは、一人でも多い方がより信憑性が増すわけで、特に札幌市なんかは余震でもほとんど揺れてないのに、他県の人が不用意に心配するのはよくない。それを伝え、多少なりとも安心させる役割は果たしていただろう。
これは役割分担の問題になるが、一般の人が有名人の真似をして人探しのReTweetをしても、フォロワー数が少ないとあまり効果は出ない。逆に、○○地域に住む人が、○○地域に住む友人の心配をしてる人の呟きを見つけ出し、「ここは大丈夫」とか「あそこは被害は少ない」とかってたくさんのそこに住む人達が言ってあげれば、それは立派に役割を果たすことになるのではないだろうか。
生の声をその人に直に届けることになるわけで、そういう使い方は一般の人だからこそできるTwitterの使い方なのかな、と。
有名人には有名人の役割が、一般の人には一般の人の役割が必ずある、ということ。
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