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「名曲探偵アマデウス」(NHK)で昨3月12日(金)、「リスト・時を超えた名ピアノ曲」を観た。「エステ荘の噴水」を美女ピアニスト<小山実稚恵>が弾く。「巡礼の年・第3年」の第4作。1877年の作曲というから、リスト(1811~1886)66歳の作品。ラヴェル(1875~1937)の「水の戯れ」。ドビュッシー(1862~1918)の「水の反映」に影響を与えたという。リストが「印象派」の魁(さきがけ)となる作品を遺していたとは驚きだ。

その昔、中学の恩師、亡き<K>先生が「リストには天才と凡人が同居している」とピアノを弾きながら放言したのが、妙に印象に残っている。たぶん、大作曲家リストを<凡人>と決め付けた大胆さに、ビックリしたのだ。そのカッサン(ニックネーム)が「モーツアルトが好きだった」と未亡人で元・絶世の美女<S>先生から、数年前に聞き、また驚いた。

1847年、35歳のリストはロシアのキエフで、28歳の侯爵夫人カロリーネ・イワノフスカと出会う。リストは彼女に夢中になる。夫と別居中だった彼女、離婚してリストと結婚することを決意するが、宗教上、法律上の問題が壁となる。二人が結婚式を挙げることになったのはリスト49歳の1861年だった。胸弾ませて、ローマに急行したリスト。

だがリストに敵意を持っていたロシア側の親戚が抗議、結婚式を挙げることはできなかった。失意のリストは1865年、ヴァチカンに引越し、聖職者となる。そんな中、作曲されたのが「エステ荘の噴水」。陰鬱な曲ばかりの「第3年」。唯一の明るい響きが、この一曲。

若き日のリスト、火山が大好きなショパンとも親交があった。1831年2月26日、パリのプレイエルホールで開かれたショパン「デビュー演奏会」が出会い。「ショパンは自作のノクターン、マズルカ、ピアノ協奏曲を弾いたが、リストはショパン特有のポエジー、夢見る繊細な美しさ、ハーモニーの大胆な転調、自由自在な音色の切替え、ノクターンとマズルカにおけるデリカシーなテンポ・ルバートには類を絶する深い感銘を受けた」という。

最後にとっておきのエピソード。明治の元勲<伊藤博文>がリストに会ったという。時は1883年1月1日、伊藤博文はワイマールに着いた。「明治憲法」制定<研究の旅>。 伊藤はワイマール大公と知り合いだったため2日間滞在、大公から夕食と夜会に招かれた。42歳の伊藤は、当時73歳のリストの演奏に強い印象を受け、「あの者を、わが国に連れて帰って西洋音楽の指導をさせたい」と言った。西園寺公望は「とんでもない。あの方は高齢だし、国宝級の偉い音楽家だからムリ」とあわてた。

「それなら四国の一つくらい与えて、四国の守にすればいい」――。 残念ながら、この話はリストに伝わらず、立消えになったという。だが明治の日本は、やがて西洋文化に狂う<鹿鳴館時代>に突入するのだ。凄い!
(平成22年3月13日)