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「経団連といえば経済界の司令塔。正副会長は会社でいえば取締役に相当する。5月末に就任した中西宏明会長(日立製作所会長)と18人の副会長を調べることで日本経済を引っ張るパワーエリートの横顔を浮き彫りにしたい。正副会長の出身企業は平成元年に比べると裾野が広がり、30年前の製造業一辺倒から金融や運輸、商社などに多様化。ところが人の多様化は進まず、①全員男性で女性ゼロ。②全員日本人で外国人ゼロ。③一番若い杉森務副会長(JXTGエネルギー社長)でも62歳。30代、40代はおろか50代もいない」――。

「前回の記事では『超同質集団』と指摘した。加えて経営者のカテゴリーでも全員がいわゆるサラリーマン経営者。かつて副会長に名を連ねたソニーの盛田昭夫氏やダイエーの中内功氏のようなアントレプレナー(起業家)が姿を消し、プロ経営者もいない、とも書いた。その後、いろいろ調べると更に同質性を補強する材料を見つけた。19人の正副会長、誰一人として転職経験がない。別の言い方をすれば全員が大学を出て今の会社の門を叩き、多少の曲折があったにせよ、ほぼ順調に出世の階段を上ってきた人物である」(日経)…。えっ!

「年功序列や終身雇用、生え抜き主義といった日本の大企業システムの中にどっぷりとつかり、そこで成功してきた人たちが、果たして雇用制度改革や人事制度改革、あるいは『転職が当たり前の社会』の実現といった目標に本気で取り組めるものなのだろうか。19人の出身大学も調べてみたが、やはりというべきか、圧倒的な1位は東大。中西会長以下12人が東大卒。次いで一橋大が3人、京大、横浜国大、慶応大、早稲田大が各1人だった。

地方創生が叫ばれる中、首都圏以外の大学は山西健一郎・三菱電機取締役相談役ただ1人(京大工卒)…。誤解のないよう付け加えると『東大卒がダメ』とか『転職経験がないからダメ』と言いたいのではない。『男性はダメ』『60歳超はダメ』というのでもない。問題は正副会長が19人もいて、似たような経歴の人しかおらずダイバーシティー(多様性)に欠けることだ。『老壮青』や『老若男女』といった姿からは大きく乖離している」(日経)――。

「日本企業がかつて躍進したのは社員の同質性が高く、それがチームワークの良さにつながり品質改良などに威力を発揮したからだ。だが近年は同質性より異質性が重要になった。異なるモノの見方や経験がぶつかり合い、イノベーションが生まれる。移民や外国人の活躍する米シリコンバレーの繁栄が証し。逆に同質性を色濃く引きずる日本企業は失速した。

中西会長は3年前、筆者のインタビューでに多様性の重要性を強調、『どれほど優秀な外国人に来てもらえるかが経営の勝負どころ』『女性の起用に数値目標を導入するのは賛成。多少無理をしてでも、女性の役職を引き上げることで新風が吹き込まれ、よりイノベーティブな<企業風土>に生まれ変わる』と述べた。<日立>再生で発揮した<剛腕>を<経団連>でも振るうことを<新会長>には期待したい」(日経)…。火山、刮目!大賛成――。

「経団連の会長・副会長」…。▼会長・中西宏明(日立製作所)…。▼副会長・岡本圀衛(日本生命)。永易克典(三菱UFJ)。宮永俊一(三菱重工業)。十倉雅和(住友化学)。飯島彰己(三井物産)。工藤泰三(日本郵船)。岡本毅(東京ガス)。小林健(三菱商事)。石塚邦雄(三越伊勢丹H)。国部毅(三井住友F)。山内隆司(大成建設)。進藤孝生(新日鉄住金)。山西健一郎(三菱電機)。早川茂(トヨタ自動車)。隈修三(東京海上H)。富田哲郎(JR東日本)。片野坂真哉(ANAH)。杉森務(JXTGエネルギー)…。そこで火山、一席――。

「『老兵は消え去るのみだよ』。一昔前のテレビドラマ、定年を迎えたサラリーマンなどが半ば自嘲気味に、こう吐露する場面をよく見かけた気がする。定年自体が延び、定年後も再雇用、継続雇用で『老兵』が働き続けるようになった現在、そんなセリフは似合わないのかもしれない。この表現、マッカーサー元帥の名言として伝えられる『老兵は死なず、ただ消え去るのみだ』(オールド・ソルジャーズ・ネバー・ダイ、ゼイ・ジャスト・フェイド・アウェー)を都合良く切り取ったもの」と「産経」コラム<一筆多論>(2015年2月28日)。

「日本占領の最高司令官マッカーサー元帥、朝鮮戦争が勃発すると国連軍総司令官となり、不利な戦況を逆転したものの、戦争方針でトルーマン米大統領と対立、解任された。その10日後の1951年4月19日、米上下両院の合同会議で行った演説末尾に、この文句を盛り込む。朝鮮戦争に参戦した中国に対する種々の攻略策を訴え、深追いを避けた大統領に反論。思い入れたっぷりに結ぶ。『私は52年の軍務を終えようとしている。…だが(陸軍士官学校入校)当時、兵舎で最も流行っていた歌の繰り返し句は今も覚えている』」(産経)…。

「<老兵は死なず、ただ消え去るのみ>。この上なく誇らしげ…。『そして私は今、軍歴を閉じ、ただ消え去る。神の示すところに従い、任務を果たそうとした老兵として。さようなら』。元帥は演説の最後のくだりで、米国人が話す速度の2分の1まで落とした。劇的な効果を狙った。だが、というか、むしろ当然というべきか、元帥は簡単に消え去らなかった。当初の世論調査では大統領の解任への支持が僅か25%なのに、元帥の支持率は66%である。

「議会演説後も上院公聴会に出席、大統領批判を証言、マッカーサー解任を受け大統領非難決議を採択した一部州議会に招かれ講演するなど何年も全米各地を遊説している。議会の雄弁は『老兵はただ消え去るのみ』演説でなく、『老兵は死なず』演説(または『太平洋を放棄するな』演説)と呼ばれたという。むべなるかな。私事で恐縮だが、この3月、38年間にわたる記者人生の幕を閉じる。マッカーサー風ではなく、さりとて冒頭のサラリーマン風でもなく、静かに筆を措きたいと思う。さようなら。西田令一(論説委員)」(産経)…。
(平成30年7月4日)