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5月11日(水)19:00。火山、偶然に見つけた「世界うたもよう」<愛を歌う旅>はゲーテ作詞の「野ばら」。21歳のゲーテはシュトラースブルグの大学に留学。牧師を父に持つ少女と出会った。「少年が<野ばら>を発見した」のだ。「ボクは君を折ってしまう。小さな赤いバラよ」。二人は逢瀬を重ねるが、身分が違う。少女は結婚を熱望したが、少年は去ってしまう。少女は生涯結婚せず、独身のまま世を去る。

世界的な<文豪>となったゲーテは「詩集」に一つの詩を残した。素晴らしい名作。現在<150>を越える作曲家が、これにメロディーをつけた。ベートーヴェンもブラームスも、モーツアルトも。だがゲーテが一番気に入ったのは、シューベルトのもの。同郷のウェルナーのものも好きだったという。モーツアルトやベートーヴェンとも面識があったのに、ゲーテはなぜか、認めなかったという。これは火山の伝聞。

その昔、ドイツ文化研究会に所属、ドイツ語大好き。3学年から卒業まで<代表>を務めた火山、「野ばら」も原語(ドイツ語)で歌った。シューベルトも火山は好き。「未完成交響楽」という映画は何回か観た。ウィーンは3度旅したが、最初の時、宿泊したホテルの対面(トイメン)にあった教会はシューベルトの葬儀が営まれたという因縁ができた。

少女の名前も、似顔絵も残っている。ゲーテが有名になった時、彼女はどんな気持ちであったろうか。ゲーテが生きたのは<1749~1832>。ゲーテが「若きヴェルテルの悩み」を書いたのは1774年。25歳。ハプスブルグ王朝とプロシャ王国の時代。モーツアルトより7歳の年長。ベートーヴェンは21歳若い。モーツアルトが35歳で死んだ時、ゲーテは42歳。

シューベルトが生まれたのは1797年。ゲーテ48歳、シューベルトが31歳の若さで死んだ時、ゲーテは79歳。あと4年の余命を残していた。ウーン、「野ばら」を折ってしまう男は、やはり強いなあ。