ヴィーガン食の話 | 米の心

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ヴィーガンについては色々と思うところがある人も多いかもしれません。個人的には、栄養面などで疑問もありますし、実際のところヴィーガンが健康にとってデメリットがあるなどという研究成果もあるようです。まぁ、その中でヴィーガンとしての食生活を続けるかどうかというのは当人次第としか言えないものの、ヴィーガンではない誰かにとって、ヴィーガンを好意的に捉えないケースも少なくないというのが事実だと思います。

そして、その事実というのはヴィーガン市場として考えるとなかなかネックになる可能性があるように思いますね。

飲食店などでもヴィーガン向けの料理などを提供する場所はあったりします。ヴィーガンにもそれぞれどこまで食べていいのかみたいなのはそのスタンスによってわかれるようですが、日本だと出汁にカツオブシを使ったりすることもあるので、意外とヘルシーで肉などを使わない日本料理といってもヴィーガンの人にとっては受け付けないというケースがあったりします。

そのため、ヴィーガン向けの料理というのは、きちんとヴィーガン向けであるということを表記、アピールすることが求められることが多いとも言えるかもしれません。

お肉屋さんなどで、イスラムのハラル料理向けに、肉の表示があるのとあるいは一緒かもしれません。

ただ、一方で、イスラムのハラルは屠殺の仕方であり、ハラルを守った肉がイスラムではない人にとって受け付けない肉であるかといえばそうではありません。おおよそ多くのイスラムではない人はハラルであろうとなかろうと気にせずに手に取るのではないでしょうか?イスラム教を徹底的に毛嫌いしている人などであれば別でしょうが、味に問題がないのであれば、わざわざ避ける必要がないからです。

一方で、ヴィーガン向けの料理はヴィーガンの人はもちろん食べるわけですが、ヴィーガンではない人にとっては避ける傾向があるというデータが出てきているようです。

確かに今まで私も意識したことはなかったですが、ヴィーガン料理とそうではない料理があれば、前者を選択するということはまずないですね。

これは、傾向として他の人も同様であるようで、例え全く同じものであってもヴィーガンというレッテルがあると、購買意欲が下がるようです。

ではなぜ避けるのか、といったところで一つ目の理由として考えられるのは、擬似肉であったりわざわざ肉に寄せたものを作ることの多いヴィーガン料理ですが、本物を食べられる誰かにとって似せた何かを積極的に食べる必要がないと考えるからでしょう。

そして本物以上に偽物が美味しいというところまでたどり着いていない以上、本物を食べればよく、わざわざまずい可能性があるものを積極的に選択しないというわけです。

また、ヴィーガン向けの料理は絶対そうというわけではないですが、それだけの手間がかかるケースは少なくありません。ゆえに、ヴィーガン向けの料理はそれがコストとしてかかっており、それが価格に反映され、高い傾向となります。わざわざ高いお金を出してまで積極的に食べようとはこれも普通はならないといえます。

野菜料理が嫌いとかそういう話ではこの根底はおそらくないのだと思います。おそらく、同じ野菜のサラダがあったとしても、ヴィーガン向けとなっていれば、そうではない方を選択するかと思います。

これは、ヴィーガンという志向性の強い人たちへのステレオタイプなども働いているのかと思います。そしてその人たち向けの料理であればその人たちが食べればよく、自分たちが選択してとる必要はないと考えるわけです。

ヴィーガンではないですが、一時期話題になった昆虫食も似たようなものがあるように思いますね。

昆虫を使った様々な料理があるのはわかりますし、コオロギパウダーがクセもなく食べれるのかもしれません。

では、それが食料問題を解決できるかといえば、個人的にはそれは難しいと思います。昆虫食を食べることを好ましいと思わない人が多く、その人たちは、そういう料理があったとしてもそれを積極的に食べないからです。だとすると、昆虫食はそれを食べる人たち向けの市場以上に市場規模が広がらないからです。

昆虫食を嫌だと思っている人からすると、昆虫食としてレッテルのある料理を積極的に食べるでしょうか?食べません。そこを食べるのはまだ好奇心のある誰かです。

逆に知らずに昆虫食を食べたとなると、例えおいしく食べれたとしても、一部の昆虫嫌いな人からすれば、嫌悪となり、訴え出る、吐き気がするという動きにすら発展する可能性があります。

よって、昆虫食もまた特異な存在でしかなく、それがゆえに昆虫食であるよということを明示する必要があり、(まぁそもそもアレルギー問題が発生するので明示は必須ですが)明示があるからこそ、そこの関心のない誰かが積極的に関わるには至らないということになります。

さて、ヴィーガンの話に戻しますと、それがゆえに、ヴィーガンの料理の対象、市場となり得るのは基本的にはヴィーガンの人に限定されるということになります。

これは、ビジネスとして考えた時に非常に難しさがあるように思いますね。

例えば、飲食店としてみたときヴィーガン向けの料理を出していると大々的にアピールしているお店に、ヴィーガンではない人が向かう可能性は高いとは言えません。

そうなると、お店の経営を成り立たせるには、それだけのヴィーガンがそのお店を利用できる環境内にいる必要があります。これはなかなか難しいかなと思いますので、可能なのは一部の都市部に限定されるのではないでしょうか。

となると、そうではないヴィーガンはどうやって食べるのかとなると、食材を注文し、自分で調理するというのが一般的な流れになるかと思います。

食材という意味で言えば、ここはヴィーガンであることを名乗る必要はありません。キャベツにヴィーガン向けとつける必要はないからです。これは、ヴィーガンであるかどうかは関係のないただの野菜市場という話になります。

一方でやはりヴィーガン向けとなるとなかなか他からの収入を計算しにくいという意味では、なかなか市場として難しさがあるように思います。

この辺りを考えるとヴィーガンが話題に上がることもありますが、ヴィーガンそのものも正直なところ一定のところで打ち止めのなるのではないかという気がしますね。

エコだからなどで様々に注目されることもあるヴィーガンですが、エコであろうがなんであろうが、結局のところそこに関心を十分に持ってもらえる市場になりえるかが全てでありそこについては気になるところですね。