五輪とフードロス | 米の心

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東京五輪組織委員会が弁当廃棄問題、フードロスの発生について謝罪会見があったと先日ニュースになりました。ボランティアのために用意されたおにぎりや弁当など1日あたり1000食分が賞味期限が切れる前に廃棄されていたとのことです。

大会組織委員会による持続可能性に配慮した食材の調達に反するのではないかという批判が上がっているとのことです。

ちなみに食品ロス、フードロスといわれるものは日本の場合は「本来食べられるにもかかわらず捨てられる食品」と定義しています。一方世界的な動向としていえば、FAOが「人の消費に当てることのできる食料が、サプライチェーンの様々な段階で失われ、量が減少すること」と定義しています。SDGsにも掲げられた削減目標の達成に向けて、FAOによる「食料損耗指数(Food Loss Index)」(収穫後から小売に至る直前までの段階の推計)、UNEPによる「食料廃棄指数(Food Waste Index)」(小売及び消費段階の推計)によって、世界規模の食品ロスの規模の把握がなされようとしています。

なのでこの件について委員会が、多くの会場で食品ロスが生じていたと事実を認め、謝罪しましたが、FAOによる定義からすれば、今回のは廃棄に当たる部分のため正確ではないという側面がありますが、前述の様に日本の場合は、「本来食べられるにもかかわらず捨てられる食品」と定義していますし、今回の持続可能性に考慮したというのはSDGsにも掲げられた削減目標の達成に向けてのFAOとUNEPによるものと一致するのでフードロスの定義として正確ではない云々という話をする人がいたらそれは根本的にズレていると言えます。

さて、今回批判された話ですが、賞味期限が切れる前に廃棄されていたという点については問題があると思いますが、フードロスの問題というのは正直時期も合わせて簡単な話ではないので一概に批判できる話でもないかなと思います。

今回は無観客の可能性も早くから示されていたとは言え用意をしないという選択肢はありません。予算を元に考えて、では無観客の場合は弁当注文しないけどいいよね?みたいな契約がまかり通るかといえば正直それは難しいでしょう。そもそも新型コロナウイルスの騒ぎより以前にその辺りの契約が出来ていたとすれば、柔軟に企業に対応を望もうにも契約内容を含めて無理が発生するします。

そもそもなぜフードロスが発生するかと言えば、発生させた方がビジネスとして成り立つ基盤があるからともいえるかもしれません。社会構造的な話です。

フードロスといわれてもサプライチェーン前のものであれば、段階によっては人が消費に当てるという事は可能です。エサや肥料になるならば間接的には人の消費に繋がるからです。この話はよって生産量を減らしましょうという話ばかりではありません。生産効率の悪い食材などに関してはそれもありますが、そもそも生産量を減らせば生産者が成り立たなくなります。

例えば、コロナ禍の影響もあり米余りが過剰になっています。外食産業などの消費が減っているからです。ただでさ米余りな傾向がある中、以前であれば米農家として成立していたものがすでに成立できない取引価格になりつつあるというのはあちらこちらで発生しています。

問題はその余った米をどう活用できるかというところへのアプローチであり、米の生産量、購入価格が減り、米農家が成立しなくなるということが果たして将来的なリスクも含めて適切かといえば少し違う気がします。それであれば、海外などへの模索をするという話ともなるわけです。

よって、フードロスの問題はサプライに対してそれをどう効率的に活用できる様にするか、機会を増やすかという話でもあり、それにおいてFAO、サプライチェーンの側面で五輪という大会において行えるものは限定的と言えます。むしろ、前者的な話で言えば、ボランティアに提供するというのは本来生じていたフードロスをそこで消化するという機会を与えていたとも言う事が出来ます。

一方で後者的廃棄問題となるとまた話が変わって来ますね。フードロスの問題は様々にあるかと思いますが、最終生産物への廃棄というところへの調整が一番難しいのかなという気がします。

つまりSDGsをFAOとUNEPそれぞれの観点で考えた場合、前者的な努力、対応については否定できない側面があるが、後者的なところでロスが発生し、結果としては日本の定義するフードロスに繋がったという事が出来ます。

結局沿うなるとAIを活用しビッグデータなどを活用して人流や売れ行きの精度をどこまで高められるか、もしくは、元々サプライを低くし、供給不足になることを想定した供給量にするかなどということになりかねません。

今回の話で言えば、ボランティアの人の為の食事となるとそれ相応に準備する必要がありますし、しかしとはいえ、ボランティアの人がそれをきちんと消化してくれるかはまた別の話とも言えます。

人によってはアレルギーなどの問題も発生するでしょうし、時間や場所が合わないケースも想定されるでしょう。

今の時期であれば、弁当を供給しようとすれば、決まった時間帯に決まった場所に取りに行くなどになるかと思います。予め渡すということであればそれこそ食中毒などの危険性も発生するからです。

まぁもちろんこれまでのことも考えるとそこに対してではベストな対処が出来ていたかといえばそうではないでしょうし、批判に当たる内容のところはいくらでもあるのかなと思います。その上でそれをするという事を口にした側にそもそもの問題もあると思います。

ただ、そうだとしても廃棄物問題というのがそんなに簡単に解決できる問題ではないというのは十分に分かる事かと思いますし、その意味ではしかるべくしてなったという話に過ぎないのかなと思います。

そもそもそんな簡単に廃棄物問題が解決できるなら各企業がよほどそれに向けた適切な動きをしているはずです。スーパーやコンビニなどの小売業からすれば廃棄リスクを低くする事はそれだけ利益率を高める事にも繋がるからです。今では、以前はコンビニなどでは認められなかった廃棄食材になる前に半額などにするなども認められはしましたが、そもそもの供給量を減らせという話でもあります。(まぁこの辺りはコンビニ会計の話もあるのでルール、社会構造的なところが廃棄を増やしていたとも言えますが。)

まぁ結局は表面的な話で、政治的な話に過ぎないということでしょうかね。