スポーツ選手と鬱 | 米の心

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大坂なおみ選手が四大大会を初優勝した2018年から長い間鬱になやまされていたと明かし、一時的にコートを離れる意を表明しました。全仏オープンは出場しない方向という話ですが、東京五輪については出場するという話も今のところ出ている様です。

大坂なおみ選手は割と精神的に安定しないタイプというのはプレーからも感じる事ですし普段のSNSなどでの発信やインタビューなどをみても主張する事が多く、その点においてそれだけの話題性を集める人ですから反対にそれだけそういう事になるリスクというのは高い生き方をしていた様にも感じます。

新型コロナウイルスの影響があるのではという話もありますが、それももちろんあるでしょうが本人が示した様な2018年からの発症しているというのが事実であれば、潜在的にそのようなものが長くあったという事になります。

確かにそれ以前も大坂なおみ選手は注目される事の多い選手ではあったものの、世界的に本当に注目される様になったのはあの全米オープンを優勝したあの一戦からでしょうから、そこから何かしら生活が変わるというところはあったのかもしれません。

また、そのような変化によって何かしらの精神的な負担というのがかかるというのはあり得る話です。

優勝したときもそうですが、今もまだまだ若い選手ですので、それだけメンタルコントロールというところが果たしてその急激な変化の中で可能かということは確かに難しい話はあるかと思います。

最近では若くして活躍するスポーツ選手というのが増えて来ましたが、その中で一つこのメンタルコントロールというところの難しさはある様に思いますね。

昨年まで横浜の監督をしていたアレックス・ラミレスはフィジカルよりもメンタルの扱いが非常に難しく本来はそこに対してもっとアプローチしていくべきなんだという旨の発言を過去にしていたりもしてます。

ただ、この点においてプロスポーツにおいてもチームにおいて団体競技を行う者と個人競技を行うものでは大きく異なる点もあるでしょう。

団体競技であり、チームに所属する場合、個人のトレーナーなどとは別にチーム内にもメンタルトレーナーも含めて様々な自分たちが利用できる何かというのがあります。

一方で個人競技の場合は、コーチとの立場は対等であり、メンタルケアなどを考えるのであればそれ専門に雇う必要などがあります。

特にプロゴルフやテニスなどの世界であれば、ある程度スケジュール管理やどの試合に出場するかといったレベルではなく、どのホテルにとまるだのその予約を取るだのといったことまでしなければいけない、その出費ももちろん自分で払うというような事も聞く世界ですから、何から何まで準備されている事が前提であるスポーツとはその辺りは違いもあるかもしれません。

ロッテで捕手として活躍された里崎さんなんかもプロでいるときはすべてが準備されていて社会の仕組みが分かっていなかった。だから社会に本当に出た時に苦労する元プロ野球選手は多いという旨の事を以前発言されていたりしますね。

その点は、個人スポーツならではの負担、というのが様々にあるといえます。

また少し前にゴルフの渋野選手が海外で試合に出場する事を選択したことによって以前出場した大会から罰金が発生したなどといったニュースもありましたね。

ゴルフなどの場合個人スポーツであるだけではなく、スポンサーなどもその大会毎に異なるケースが多くその場合、その目玉となる選手(前回優勝した選手)などが出場しないとなるとそれだけスポンサーに対してその大会の意義というのをしめすことができなくなります。そのため出場などを求める為にそういう罰則の様なものというのができてしまいがちです。

テニスでいえば世界ランキングを維持するためにはコンスタントに試合に出場し続けなければポイントを加算して行く事ができません。優勝した大会に出場しないのであればその分のポイントがなくなってしまうというリスクがあるわけで、そうなってくると世界ランキングの上位を安定維持する事が出来なくなります。

ランキングの上位を維持できなくなれば、今度は四大大会などでシードを受ける事が出来なくなり、不利な状況で四大大会を行う必要性が出て来ます。

そういうどこそこでこれだけポイントを獲得して行ってどういう位置にいてどう大会に出場して行くかなんてことを考えると途端に年間のスケジュールというところに余裕が亡くなって行きます。

これがフェデラーのようなベテランで絞った試合で確実に結果を残して行きたいという状態にできるのであればともかく、若手でそのようなスケジュール管理と実績を計算して行くのは難しい側面もあり、ある種試合に、ツアーに出場する事が求められ続ける、個人であるにも関わらず選択肢は自由にあるようで実際にはない生活が求められるという側面がテニスにはある様に感じられます。

その中で結果を若くして出したものへのプレッシャーというものは相当なものがあり、そういうところでのケアというのが果たしてそういうやり方であるならばどれだけできるのかという点は難しさがある様に思いますね。

個人競技でありながら、ある種の強要がしいられる世界であり、だからこそ本当にその強要に束縛されずにといった解放を見出すというのは簡単には出来る事ではないでしょう。

その上インタビューなどの義務づけなどもあるわけですからなおの事です。

また、そもそもという話はなんですが、プロスポーツ選手はある種の鬱になり易い面がある人も少なくないという印象が個人的にはあります。

まぁ簡単に行ってみれば化け物みたいな人ばかりいる中で活躍するというのはある種自分の実力を十二分にも発揮する必要性があるというわけです。

よく最近ではゾーンにはいるなんてことを言ったりします。ゾーンというものはおそらく本当にあるものですがある種これは作り出されたものでもあるかなと個人的には考えてます。

つまり、ゾーンという表現されたものであるという認識をすることでゾーンという状態になれるということです。

言って見ればこれはプラセボに近いものが元々はあったのかもしれません。しかしそのプラセボであれなんであれ自分がそういう舞台で活躍できるんだという自身とメンタルを持つということがそれだけの大会であれ舞台で活躍できるための条件でもあるともいえます。

一方でプラセボというのはそれが切れた時には途端に自信が持てなくなります。自信の根拠がないからです。イソップなどにプロになってからなる選手なども多いですがこれは一つプラセボの効果が切れてしまった状態なのではという見方も出来ます。

まぁ大坂選手の場合はその後も結果を出していますし、自分の主張を様々な場所で示しているので、鬱といってもどのようなレベルなものなのかはわかりません。

というよりは鬱というのは非常に厄介であり、それを他人がどうのこうの指摘できるものでもないし、そう言われてしまった場合に、でもあなたこういう事で来てるじゃんという否定をする事もおそらくダメだろうからです。

ある種外から見ている人には都合のいいいいわけの道具とすら見える一方で、それを証明する術はなく、あくまで本人の病気である以上否定も肯定も論理的に意味を成さないからです。

そして世間的に鬱というものがそういう見方をされるものである以上、否定をするという行為が認められる事はありません。だからサポートをする、支持をするという結論しかもはやないのです。そしてその結論しかない事が分かっている上でそれを表明するという悪用もできるものであるからこそある種の厄介さがあるとも言えるわけです。

今回の大坂さんの表明についてなぜ、これを早くに言わなかったのかという主旨のことを述べています。マスコミの確かに質問はひどいものもありますし、大坂選手からしてそれがすぐにでは表明できるものかといえばその点も難しいものではありますが、ではなぜこのタイミングでそれをいうのかという疑問を持つ人が多少なりともいるのはおかしな話ではないといえます。

これによって論調は完全に全仏OPの会長側に問題があるとされ、その後は四大大会は支持をするという旨を述べたりもしましたが、少なくともそういう状態であったということをメディア向けではなく大会側に示す事は出来たはずであり、それをした上でそういう態度であったのかという話にもなってきます。

また、例えメンタル的な問題があったとしてもそれをいいわけにではラケットを試合中に壊していいのか、インタビューをすっぽかすということがどこまで許されるのかというのは本来別な話だからです。

インタビューの義務づけは当日に決まった事でもなく、むしろそういうことをこなす事でプロと見なされるのであり、それをするからこそスポンサー料を払ってそのプロとしてのスポーツを全うしているという事につながるからです。

これがアマチュアであればおそらくはそこまではならないかもしれませんが、プロとしてそれでお金をもらっているという側面があるわけですから。

まぁその辺りの態度含めてコントロールを出来る状態ではなくなり、自分でその辺り世間に対してもコントロールしようとしたところでうまく行かずついに爆発してしまったのかもしれません。

そのような事は大小あれよくある話であり、そこからではどうやって立ち直り、そこに理解をしてもらえるかという話に結局はなるのかと思いますが。

ただ、個人的には2018年からの鬱という発表をし、かつ、それに至るまでのストレスというのを世間に示してしまった中で果たしてどのタイミングの復帰が理解されるかは難しい様にも思います。

鬱はすぐには治らないものかもしれませんが、それを自分の正当な武器として利用するということは少なくとも日本では好まれないでしょう。

例えばこのタイミングで鬱という理由で全仏OPを棄権しておいて来月の東京五輪は出たいと言った場合にどうなるかといった話です。2018年の初優勝の時からということになるともうこの鬱は長期的なものであり、簡単に治らないものという認識になりそうです。

そうなった場合、あの大会は嫌だけどこの大会には出たいということを短期で行われることは世間的に理解されるかは難しさがある様に思います。

仮に例え批判があってもそこで復帰するのであればその後の継続的なプレーというのが求められるでしょう。そうでなければ、本当にそれを武器にしているとも思われがちです。

現状でいえば世界は同情的な流れというのもある様に思いますしそういう流れになってもおかしくないように話を進めて来たわけですが、では果たして、そういう流れに持ち込んだからこそ、きっちり鬱を克服して大会にまた復帰するのか、鬱の中で大会にも出場したいというのであればそれに合わせた対処法を示すのかなんらかの話というのがなければ、どういう流れにもなってしまいそうなのは確かなところです。

また、こういう問題、メンタル的な問題というのは従来からおそらくあったものでしょうがそれがこう表面化してきたという中で、個人競技の、団体競技のプロスポーツがそこに対してどう今後アプローチしていくのかというのは注目すべき話かもしれませんね。

一旦は休養されるという事でしっかりリフレッシュして再度活躍する日々が来る事をお祈りいたします。