子供と投資 | 米の心

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野球にサッカー、NBA、F1とスポーツ全般から、西洋や江戸、日本の歴史、経済、文化、社会や科学、時勢ネタその他種々雑多をただただとりとめもなくぼやくブログです。

新しい年になりました。新年ということで今年一年の抱負などを立てている人もいらっしゃるかもしれません。

昨年の記事になりますが2chの開設者で有名なひろゆきさんに、東大生は本人に努力より、親が金持ちだったから合格したという旨の話があったようです。もちろん本人が努力しているのは間違いですが、その与えられる環境というところについては親に依存するところが大きいのは確かでしょう。

主旨としては東大に行けなかったからとして努力不足がのせいとは考えない方がいいということが言いたかった様です。

実際親の収入にそれだけ余裕があれば、子供が小さい頃からも様々な学習の機会を与える事もできますし、英才教育などもできるのは確かかも知れません。

芸能人のお子さんなどに様々な可能性を考えてやりたい事は自由にやらせたいという人などもたまにいますが、自由にやりたいことをやらせられるだけの環境というのはやはり子供がどうにか出来る問題ではないが故に、それを可能な環境を提供できるか否かという点は重要である様にも思います。

教育熱心な親というのがいますが、これは分かりやすく言えばそういう方向により熱心に投資をしている親であるという事に過ぎません。

その投資の方向性というのは子供の希望もあればですが、やはりそこは親あってこその話です。

ボクシングで一斉を風靡した亀田三兄弟などは、親がボクシングという方向に投資をしたわけです。ゴルフなどで成功した人も、親がそちらへ積極的に投資をしているケースというのは珍しくありません。

F1で活躍するドライバーをみてみると幼い頃からカートを経験しているドライバーは非常に多いですが、カートもお金がかかるスポーツです。親にソレだけのお金があるか、子供にそれだけの将来を投資させるだけに魅力があるかなにかがなければ中々に継続するというのは誰にでも出来る訳ではないのです。

プロスポーツ選手などを見てみるとそのあたりが極端なパターンに分かれる様な気もしますね。

分かれると行ってもそれはそのスポーツの土台となるところの影響も大きい気がします。例えば前述のF1ドライバーになるような場合ですとやはりカートを継続して行う為にはソレだけの投資が必要です。

音楽家などにおいて、特にクラシック畑などであれば、ある程度裕福な家庭でなければ継続は難しいかもしれません。

一方でサッカーやバスケなどは比較的にコートやボールさえあれば誰もが出来るスポーツです。NBA選手は母子家庭であったり貧しい出の人も少なくありませんが、それは子供の頃から投資ということではなく、ストリートで腕を磨ける様な、ハングリーな環境でも出来るという点が大きいのかもしれません。

野球については日本だとある程度お金がないと出来ないスポーツですが、中南米とかだとでこぼこのグラウンドで、使い古したボールとバット、ミットもぼろぼろで場合によっては素手でプレーしたりしているわけですから、それだけの状況でもそのスポーツにかける情熱があるのであれば確かに日本人にはないハングリーさというのがプレーには出て来てもおかしくない様にも思います。

まぁお金がなくてもハングリーにすれば何とかなる、本人の強い意志と才能、努力で導かれる世界もあれば、カートなどの場合はそうではないですし、勉学の道もなんだかんだ日本などの場合は結局のところ親の投資というところの影響が非常に大きいのかなという印象も強かったりします。

子を育てる、と言いますが、いってみれば子の意見を尊重しつつも、自分たちが投資をしてその子をどうしたいのかということにも結局過ぎないこととも言える様に思います。

子供の好きな様にさせる自由奔放な教育方針といえば聞こえがいいですが、逆にそれはある側面に置いて子供に無関心である、教育を放棄しているともまた言えるのかもしれません。

結局のところそういう意味合いで言えば、どう投資をし、どう回収するかという非常にドライな側面というのがそこにあると言えます。

その点に置いて投資を十分にしない、出来ないのであれば、それに見合う以上の結果を求めるというのもまた難しいというのもまた確かなのは当たり前の様にも感じますね。

経済格差が更なる格差を生むというのもまた、その意味では当然といえるのかもしれません。だからこそそを覆す何かを求めるのであればそれだけのものがまた必要ということになるわけですね。