AIと空間 | 米の心

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AIが様々なところに利用されるということが想定されるようになってきました。IoTであらゆるものがインターネットとつながるような時代というのがやってくるようになりました。

まぁ、実際のところコストもふまえると本当に身の回りのものすべてがインターネットにつながるような時代というのが来るのかはわかりませんが、この流れでいえば、今後スマホは必要なくなるという声もあるようです。身の回りのモノが当たり前のようにネットにつながっているのであれば、そもそもスマホである必要はないからですね。

以前にも何度も記述していますが、スマホの欠点というのは、スマホによって手がふさがれてしまうということです。ハンズフリーであるということは、それだけ行動の自由を示し、行動が自由であるからこそ様々なアクションというのが生まれます。

例えば、ショッピングにおいても結局のところ手にとって触れてみてこそわかることもあると思いますが、片手がスマホでふさがってしまっていたら、そもそものその初動が行われにくくなるかもしれません。

最近のAIやIoTの動きというのは、ある意味では、AIスピーカーにしろ、人の行動を制限しない形でそのサービスを利用できる世界というのを目指しているといえます。

まぁ、そうなった場合、今のキャッシュレスの流れというのがどういう方向に向かうのかなどは、興味ありますが、今日は空間利用の話。

ある意味では、上記のことは人がいる空間利用の話でもあるといえるかもしれません。技術の発展の示すことというのは、効率性の話につながり、効率性というのは、時間的、金銭的、そして空間的なものというのが求められるといえるかもしれません。

空間利用の話でいえば、ムーアの法則ではありませんが、コンピューターの世界はこの話と常に戦ってきたといえるかもしれません。

コンパクト化というのは様々な世界でも出てくる話ですが、常にこれと戦い続けた業界というのはあまりありません。

それは、そもそも人が使う、人とかかわって利用されるものということが前提であるがゆえに、コンパクトにすることが適切であるかどうかという話が出てくるからです。

つまり、人が使う上で適切なサイズへの標準化、サイジングがなされるわけです。

そして、そのサイズを元に他のサイズというのも決定されていきます。こちらについては、空間効率の話でどうすればそれを効率的に活用できるかという話になります。運輸などの話で言けば、重さ、そしてサイズを適切に判断することによって最大級に活かそうとするわけですが、まず、そのはこぶものそのもののサイジングがそれ以前に行われるわけです。

印刷技術が発達すれば、非常にミクロな文字の印刷もできるかももしれませんが、本として、読むためには適切なサイズというのはある程度の範囲で決められていて、そのサイズ以下にサイジングしたところで読めなけれb移民がないというわけです。

スマートフォンが最近のは大きすぎても持ちにくいなんて声も聞こえてきたりもしますが、これは見るための液晶としてのニーズと操作感の間での話ですね。サムソンが昨年折り畳み式の液晶というのを発表しましたがある意味では、ニーズによって自由にサイズを変えられる折り畳みというのは、タッチパネルにおける操作性とより大きい画面をという需要に応えるものかもしれません。

話がそれてきましたが、コンピューターの世界は、いかに空間を効率的に利用するかを考え、サイズダウンを図るということを追求してきた世界です。CPUそのもののサイズが大きければ自然コンピューターそのものも非常に大きいサイズになるか、そのパワーを弱めて適切なサイズで提供するかのどちらかになるからです。

量子コンピューターの話を少しすると、このサイズの課題というのは割と現実的に大きな問題であるといわれています。

つまり、それだけのビット数を動かすための設備ともなれば、莫大なサイズのコンピューターになってしまう、という場所的な制約が発生してくるというお話です。量子コンピュータの実用性上での課題という意味では、この辺りは大きいものといえます。

さて、そうやってサイズを小さくするという努力を常にしてきたからこそ、近年のIoTやAIの話というのが出てきているといえます。冷蔵庫をIoT化しようにもそのために莫大な場所を取るようでは現実的に利用しにくいからです。

しばしばAIやIoTの話ではコストダウンの話がでますが、価格的な話だけではなく、手軽に場所を取らずにそういうことが利用できるようになったというのは大きいといえます。

かつては、人よりも大きかったコンピューターですが、今では非常にコンパクトになりました。スマホを見てもらってもわかりますね。手のひらサイズに数年前のPCと同じレベルの処理ができるコンピューターがあるわけですから、素晴らしい話といえます。

さて、私たちの身の回りのモノというのは、上述で、私たちが利用するのに都合がいいように最適化されてきたという話をしました。

ここで、身の回りのものがIoT化され、人工知能を持ち、判断することができる社会が来るということについて改めて考えると、それは、空間利用の考え方が再構築されるということになります。

人間が活用するために最適化されたサイズ、配置というのがAIが利用するために最適化された形に再構築されるというわけです。

もちろん、すべてのものではありませんが、AIに任せられる分野であれば、AIがそれを基本的にこなすわけですから、そのためのベストな配置、サイズになるのは当然です。

コンピューターの世界というのは、前述のようにこれまで常にサイズダウンを図ってきた世界であり、それに適切なサイズというのもモノによってはやはり人が活用するよりはるかに少ない空間で処理することができます。

例えば、車で考えればわかりやすいかもしれません。

同じ車でも、トラック仕様であれば、後部座席をなくせるため、それだけで積載できる荷物の量というのは全く異なってきます。人がいるための空間というのは、それだけ非常に場所を取るということなのです。運転席に目を向けても、ハンドルが必要で、ブレーキが必要で、アクセルが必要で等々人が運転するための機能がそこに集められており、それをAIが自動運転するというのであれば、そのような設備は一切排紙できますし、それだけ空間をより効率的に利用することができます。

もちろん、現状のルールなどからすれば、そのような全くの無人での自動運転車の活用というのは公共の場では難しいかもしれませんが、では、運輸会社が積載物の最適化を図ろうとした場合、その敷地内であれば、無人のトラックに積載し、運び、最適化するということも考えられます。

Amazonの倉庫でロボットが動いているというのは知られた話ですね。もし、そこに人の介在が多い場合だとどうでしょうか?人が通るための通路を確保し、人がモノをはこぶだけの空間が必要となり、人のために非常に無駄にコストを支払っていることがわかります。

もし、倉庫の中も完ぺきにロボットだけで行うことができ、それをロボットのトラックと連携させることができれば、それだけでも今までよりもどれだけ効率的に空間を活用することができるようになるかということがわかると思います。

ロボットが今やコンパクトにその役割を果たすことができるようになったというのは、精度や労働時間に拘束されずに働き続けてくれるということと共に、ロボットが働くために最適化された空間を創造することによる今まで人が働くためにあった無駄を大いに省くことができるというのは非常にメリットであるといえます。

人にとっての安全の考慮もある意味では必要なくなるところはあるでしょう。

AIが日常的に使われるようになる、このことの意味として、この空間活用の着眼で考えてみるのも面白いかもしれませんね。