外国人の働き難い国ニッポン | 米の心

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日産のカルロス・ゴーンさん問題なんかがにぎわせたりもしましたが、少し前の記事に日本で働く外国人労働者(実習生)の死亡数が思いのほか多い事が話題になりました。

何度か記述していますが、現状日本人が働きたい労働環境とその報酬に見合わない様なところで外国人労働者があてがわれるシーンというのは少なくありません。この死亡についても過労というよりは事故などによる労災対象となるようなものというのが多かったとの事の様です。

単純に考えて日本人が働きたくないような環境ということは、それだけリスクがある現場であるというのは確かな話かもしれませんが、加えて言えば、やはり外国の方が働くだけの環境というのを一体どこまで日本は提供できているのかという話で、本来避けられた死亡事故などもあったのではないでしょうか?

冒頭のゴーンさんの話題について少し触れるとすれば、彼が実際どれくらい意図としてそういうことをしたのかどうか、というところは正直なところ私には分かりかねますが、実際日本人ならではのニュアンスで濁す世界というのを外国人がどこまでそれを汲み取る事が出来ていたかという点ではまた疑問が生じるわけです。

以前にも記述したかもしれませんが、日本と西洋文化の大きな違いの一つとしてあるのが、契約と法の考え方です。

西洋文化は、いってみれば契約の社会です。そして、それは厳格である話です。婚約は結婚の契約であり、それは厳密であるからこそ、その誓いから外れた行為というのが許されないというわけです。

そういうところですから、ある意味で、ネタの様に言われる猫を電子レンジに入れては行けないとは書いてはいなかったから訴訟なんて話も出てくるわけです。

日本の場合は、それは書かなくても分かるでしょというニュアンスでやる話が非常に強いです。

時間にうるさい日本人が、そういう契約に関しては非常に濁して、厳密ではないことを好むのに対して、時間にルーズな西洋人などが、契約については非常に厳密であるところというのは少し面白い話であるかも知れません。

しかしながら、この手のニュアンスというのは日本人同士だからこそ分かる世界でもあったりします。京都人の断り方なんかは日本人ですら、知らなければわからないという話でもあって、表面だけがよかったり、愛想でその場限りの会話なんてのは日常茶飯事なわけです。

法について言えば、法改正などはなかなかしない割に厳しくつくるものですから、その厳密な法を守るのではなく、そこはニュアンスでまぁ許されるなんて話もしばしばありますね。

少し脱線した話で言えば、その意味合いでは日本での自動運転車というのは一つ苦労する話もあるかもしれません。

おそらくAIによる運転だけになれば、法定速度通りに運転するわけですが、実際の人はと言えば、法定速度で走っていたらいちゃもんつけられても仕方がないといった次第だったりするわけで、日本における様々な分野でのロボット化の難点は、この日本らしい適当さ加減というところに柔軟にAI側が対応することの難しさというのはあるでしょうね。

プログラムにおけるルールは絶対であって、AIはそのルールに則った上で思考をするわけですが、元々そのルールすら揺蕩ってるわけですから、そんなのに対応しろといわれても大変なのは分かる気がします。

脱線したので話を戻しますと、ゴーンさんについてもそういう当局側のおそらく濁した対応などの中で、yesとnoの文化からすれば、それをどう捉えるかという話ではやはりなかなかうまく捉えきれなかったところというのもあるのではないでしょうか?

加えて、問題となるのが、そもそもの日本人の英語力も含めた語学力の低さでしょうね。そして、それだけ語学力が低いわけですから、適切に情報を伝達し合う事が出来ているかどうかというところでまた問題になるわけです。

外国人労働者の話にしても、ではそういう例えば危険な場所での仕事をさせる上では、十分なコミュニケーションが出来ていなければいけない話もあったでしょうが、そういうことがどれだけ出来ていたのか?といえば疑問に思います。

そもそも語学力が堪能であり、そういう現場で外国人労働者なども含めた中で指揮をきちんととれるような優秀な人材というのがいるのであれば、よりその人材を活かせる環境での活用を考えるはずです。

ガラパゴス国家日本においては、他国の言葉はそれだけ非日常的なものであり、非日常的であるが故に、それを一般化するという流れが十分に出来ておらず、また、そこに投資することも出来ず、結果、外国人労働者の死亡事故などの話にも繋がっているところというのは少なからずある様に思います。

言って見れば、文化に環境、言語あらゆるものにおいて外国人を受け入れる体制というのが日本は国としてみても、企業としてみても出来ていないところが非常に多いという話ではないでしょうか?

ゴーンさんが逮捕された時に、NY TIMESが当初、「ゴーン氏失脚は外国人と働く危うさを問う国民投票になるかもしれない」という指摘をしていましたが、ゴーンさんが実際どうだったかは関係なしに現実としてそういうことを言われても仕方のない環境に日本はあるというのは確かでしょうね。

外国人労働者の受け入れどうのと政府などはいいますが、そもそも、受け入れるだけの体制というのが現場レベルで出来ているのかという話がある様に思いますし、絵空事ではなく、こういう点でももし必要と考えるのであれば、時間がかかるでしょうが環境をどう構築していくかということを考え実行していく必要があるのかもしれません。