結果と過程 | 米の心

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W杯で日本は決勝トーナメントに出場したもののベルギー相手に実力差ある負けという形で終えることとなりました。

今大会は体格直前ともいえる時期にそれまで代表監督だったハリルホジッチ監督がクビとなり、代わりに西野監督になった、また、それまでの過程で十分とはいえるほどの結果を示すことができなかった中での、幸運にも恵まれた形で結果を出したということで概ね好ましい結果だったという声が上がっているように感じます。

中には、代表をここまで導いた西野監督の続投を望む声があったり、ハリルホジッチ監督交代をよしとする声などもあったりしますが、このあたりについて結果と過程についてどう考えるべきかという話が実に表れている話であるような気がします。

野球の世界の話となりますが、日本が誇る名監督のひとりである野村監督は、このような言葉を残しています。

勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし。

まぁ、要するに結果がよければいいという話ではないということです。というよりは、結果がよかったからこそ、それを良しとするべきではないということでもあります。

PDCAサイクルなんて経済や経営系における考え方の基礎的な話があります。まぁ、今の時代もこの話をどうだといっている人は割と中身がそもそも伴っていない表面的な人が多いのですが、その考え方が間違いであるというわけではありません。

これは考え方として結果主義では意味がないということを暗に示しています。

日本人はどこか終わり良ければ総て良しなんて考え方をしながらも、過程を大事にしたがる妙な人々です。

ただ、日本人のこの結果と過程へのアクセスというのはおかしなところでもあります。

どういうことかといえば、過程頑張ったから良しとしよう的な話にして、評価をしようとするわけですね。

海外は結果主義といわれますが、確かに西洋文化は結果を求められますが、それは、結果に対して根拠を求めたうえでの話であるともいえます。ある種の合理性ですね。合理的判断のもとの結果がたまたまダメだったということで、評価されないというようなことはあまり見られません。結果と過程が紐づいてあるからです。

一方日本の場合過程を大事にするといいつつ、その過程で何が必要でどういうところを評価してという話が合理的ではありません。先にも既述したように頑張ったから評価する、時間をかけたから評価するといったところです。会社などでも、残業しないで結果を出す人よりも、残業する人のほうが褒められたり、残業代分給料が高かったりします。これは実に不合理な話であるといえます。

つまり、過程の中身についてみようと本質的にしてないことというのがしばしばあります。

勉強できない人というのがいますが、勉強ができない理由は、もちろん能力的なものもあるかもしれませんが、過程がない、あるいは間違っている場合がしばしばあります。

非効率的な勉強法を続けている人、その本質的に理解しなければいけないところを理解しないで勉強をやみくもにする人、そのようなことでは、勉学の結果が伴わないとなるのは当然というわけです。

頑張ったからそれを評価するではなく、その過程のどういうところを修正していけば、結果が変わっていくかということがつながっていないというわけですね。

さて、今回結果を一定以上出したととらえるかどうかはそれぞれの考え方に至るところですが、一定以上出した西野監督を良しとして、ハリルをダメとするのはただの結果論にすぎません。

西野監督は良かれ悪かれハリルの過程の結果を引き継いだだけですし、ハリルだとどうなったかなどというのは空論に過ぎないからです。

ただ、今回のW杯の内容でいけば、その過程を見てみると、幸運に恵まれていたところというのが大きく、その中で手放しに喜ぶのは、単純に大会を楽しむ立場としてならありかもしれませんが、だからといって、今回の結果がよく、だから西野監督がいい、交代が正解だった、今後も期待したいという話になるのはおかしな話ということになります。

なぜならば、結果につながる過程が幸運の中によってあったものであったに過ぎないからです。それとともに川島選手の起用などはどう考えても、過程上のミスであるとしか言いようがありません。

もし、ハリルホジッチ監督がダメだったというのであれば、それは結果を出さなかったことに対しての評価を単にするべきではなく、では、それはどういう過程上の課題の結果であったかということを踏まえて、次につなげる必要があるということになります。

ただ、日本サッカー協会はどうも短絡的にこういうところを見すぎている気がします。

そもそも日本のサッカーというのは成熟した市場ではなく、また、選手についても他国の様にどんどん新しい芽が出てきている状態というわけではありません。今からまだまだ、サッカーの土台を作らなければならない段階であるといえます。

それを踏まえると、4年ごとのスパンというのを前提にチームというのを考えていくべきではありません。

今で行けば、それこそ久保君などが成長したときに日本サッカーがどういう状態であり、そのとき代表はどういうカラー、チームであるべきかという長期的な視野のもとにあるべきといえます。

しかし、そこを4年ごとの期間で考えてしまえば、そこでぶつ切りになってしまいます。結果と過程がつながっているというのはそもそも長期的目標目的に向けてのサイクル上にあり、それは、延長上にあるからです。4年ごとに次ぎどうしようかな、ではかなわないわけです。

まぁ、日本の場合、メディアもなかなか面倒ですし、その他スポンサー企業のうるささなどもあってこのあたりなかなか協会側からしても苦しいところももしかしたらあるのかもしれません。


ただ、強いチームを作るなどを考えると、種をまき、土台を作り、成長を見守り、結果が出るとなると、10年くらいはスパンとしては考えるべき話というのが個人的な印象です。

結果と過程の話をすれば、まずは、結果に対してその内容をきちんと踏まえて評価することというのは重要です。そして、過程におけるどういうところ

結果的に現状の問題をクリアーすればいいというのであれば、それは自転車操業で構わないというようなものですね。それは、目先のものをクリアーしているだけで、内容としてはひどいものであり、根本的な解決にはつながりません。

今回のW杯がまさにそれです。目先の結果にとらわれ、監督を交代し、選手をチョイスし、そして最低限国民から望まれる結果を残して敗れました。

本田選手の選択をよかったという声もありますが、ぶっちゃけた話本田選手の活躍よりその課題のほうが目立っていたわけであり、根拠のない結果を出したということで評価されるべきではないというわけです。

野球などでデータを活用されるようになってきた中で、幸運に恵まれて勝ち星が増えただけの投手を手放しに評価することがないのと一緒ですね。(まぁあくまでW杯ということがそこの判断を鈍くしているわけですが。)

キャプテンシーの高さから評価されている長谷部選手ですが、結果ではなく内容が伴った評価かといえば疑問であるといえますし、そもそも明らかに結果を示せなかった川島GKを使い続けたのは、問題視されるべき話であり、そもそも、ずっと川島が代表に出ていることについては、日本がGK育成が成功できていないことの理由であるとも言え、また、ハリルホジッチ監督のミスであったともいえます。

加えて、少し前にも記述しましたが、外国人監督の起用の意図というところについても、そろそろ考えるべきです。

日本語しか話せない日本人の集団に対して、現状戦術理解度も高いわけでもなく、あらゆる面でレベルが低く、かつ、コミュニケーション手段そのものが十分でないという状態でではどうにかできるかといえばそれは難しいところが出てくるのは確かなところです。

現状そこをどうにかしたいというのであれば、日本代表監督を誰にするかという現在目の前にある問題を見るのではなく、将来の日本代表監督となれるだけのレベルの指導者の育成を先に優先するべき話です。

日本人が野球であれサッカーであれ選手として徐々に海外で活躍しだすようにはなりましたが、一方で日本人で指導者として海外から評価され、誘致されるレベルの人はいません。まずは、サッカーであればサッカーの欧州の高い戦術の中で指揮をとれるだけの監督というものが出すということが必要になってくるのではないでしょうか?

その意味では、日本は多くのスポーツにおいてまだまだ後進国的なところが大きいといえます。世界でもある程度評価されるレベルの指導者を出すことができているスポーツはわずかにすぎないからです。スポーツというのは指導者によるところが個人的には大きいと思える中で、指導者育成という考え方が日本は圧倒的に遅れており、それは部活などのレベルでも同様であり、だからこそ、パワハラをする指導者やら体罰をする指導者という基礎的なレベルのこともできない人がいまだに指導者としているというところでもあるわけなのです。(もちろん、その業界の特殊性などもあるのかもしれませんが。)

川島がどうのというのも確かですが、では、日本でGKをきちんと指導できる人がいったいどれほどいるのか?そこがいなければ母数すらも増えようがないというわけですね。

また、指導者がどうのというのであれば、外国人指導者に触れるのはもっと幼少のころからにするべきですね。アンダーのうちであれば、より柔軟に子供が対応できるためにコミュニケーション的な問題を解決できる可能性も高いとなりますし、幼少のころから外国人指導者に触れていれば、日本代表などになった場合もより対応がしやすいということになります。

指導という意味で行けば、DFについても世界に通用する選手を育成できる指導ができる段階であるか疑問ですね。今大会日本は技術的な面、パスワークなどではある程度結果を示せたかもしれませんが、DFのひどさ、DFの実力差というのもまた世界に見せつけました。DFは、周囲のレベルが高くなければなかなか育たない難しいところであり、加えて指導者不足というところもあり、このあたりの問題解決には時間がかかるかもしれません。

フィギュアスケートなどは日本は結果を示しているスポーツの一つですが、一つに日本人指導者についてもそうですし、外国人指導者に幼少のころから触れ合うということについても実践できているスポーツの一つであるといえます。また、このスポーツは小さいころから国際大会などで世界に触れる機会が多いというのも大きいですね。

反対に、今回の西野監督の采配、日本代表の良さとして結果にもつながったところで言えば、情報戦略の取り扱いといったところだと個人的には認識しています。

電子端末の持ち込みも含めて、W杯における情報戦である程度効果的にそれを活かせたから実力劣る日本が実力劣る結果であった中で、幸運も生かしながら決勝トーナメント進出に至るということができたわけですね。

いい点ももちろんありますし、だからこそ、この戦力でここまで戦えたともいえます。しかし、仮に戦術的に、采配的に当たったということをほめたたえたとしても、それは短期的な結果としてそうであったにすぎず、それはチームの底上げにつながっている話ではないということです。

過程と結果ということを考えるうえで、今回のW杯というのはある意味では、ネタにしやすい例だったといえます。

今後、日本サッカー協会がどういう答えを模索するのか、西野監督はベスト8も近いうちに狙えるかもという発言もしていましたが、それによって、それがいつになるかというのが決定するでしょうね。ただ、運でベスト8になったのでは、後が続きません。どうであれ、結果に伴う過程があり、底力をつけていく必要性があるというのは確かなところでしょうね。