タイトル

なんて不謹慎なんだろう
我ながら思う




沢山の仕事に穴を開けてしまい
沢山の人に迷惑をかけてしまった


泣くほど責任感は感じているし
申し訳なさでいっぱいで過ごしている
特にメンバーには滅茶苦茶に
迷惑をかけてしまって
筆舌尽くしがたい程 支えられている



色々な仕事に穴を開けてしまっている期間
「これを機にゆっくり休んでね」
なんて優しい言葉を周りの人は
かけてくれたけど
私はただボーッと過ごして
何も考えずにいることは出来なかった
というか体が自由に動けない分
脳みそが勝手にフル回転していた



「代わりなんていくらでもいる」
と言われるこの世界で
勿論いつでも私の居場所が確立されてるなんて
一度も思ったことがないし
安心してるわけでもない


だけど
この休みの期間で私は何か
一皮剥けてくれ
見つめ直せ
感じろと
誰かに言われてるようなそんな気がした
まあ自分の都合のいいように受け取る
いつもの癖なんだけれど
ていうか誰かって誰だよって話なんだけれど 笑






周りを見て
色んなことを考えて
気づいたことは私自身が
人に対して疑心暗鬼になりすぎていたこと



人の親切を「素直に」受け入れるという
脳みそが全くなかったということ


私はなぜか人から一つ親切を受ける度に
「あ、私は(必ず)
この人に何か対等なお返ししないといけない」
と自然と思ってしまっていた
これ自体は別に悪いことではないと思うのだけれどなんだか義務、暗黙のルールのように
感じてしまっていた
何処と無く義理(義務)チョコ制度に似ている




入院中に読んだ本の中に自殺率の低い
人口の少ない街に行ってみたというレポが
書かれているコラムがあった
17時にほとんどのお店が閉まってしまって
晩御飯に困っていたところ
地元の人が車で拾ってくれて
麓のご飯屋さんまで車に乗せてくれて
降ろした後は足早にその場を去って行き

そのご飯屋さんで自分自身が旅行者だと
伝えると歓迎され
明日の朝ごはんまで持たせてくれた

曖昧だけどそんなような内容だった




そしてそのコラムを読んで
ギブアンドテイク
という言葉の意味について考えさせられた


私が人に親切にする時は
別に見返りを求めていないのに
人に親切にされる時は
素直に包み隠さず言ってしまうと
なんとなく見返りを求められているのでは?と
勝手に思ってしまっていた自分がいた
今思うと物凄く失礼なやつの度が過ぎている



だけど
自分が困っている時に受けた親切は
その人に直接返すわけではなくて
またどこかで違う人が困っていたら
その人に与えてあげればいいんだな
という風に
AからBにBからCに
みたいなね
親切の循環というか


もちろんその後Aが困って居る時に
Bが助けてあげられたら
それはとっても良い


実体験しないと分からなかった私は
なんとも乏しいなあとは思うけれど
簡単で大切なことに気づくのは
とてもとても難しいなあと思った


まだまだ気づけていないことが
きっと沢山あるんだろうなあ





そんなんでした。
文だけできっと読みづらかったね。