さて、投稿が大変遅くなったことをお詫び致します。やっぱりなかなか書けないものですね・・・。

3年生の引退の懸かった私学選手権の2日目が7月31日(水)に大田区ガス橋ソフトボール場にて実施されました。なかなかこのブログを書くまでに時間がかかってしまいました。この日は本校はベスト8を賭けて藤村女子高校と対戦しました。本校はこの代になって公式戦でベスト4と呼ばれる学校と対戦する機会がありました。神田女学園、目黒日大、都立小平西。唯一対戦していないのが藤村女子でした。(インターハイ予選では淑徳がベスト4となりましたが。)3年生も有終の美を飾ろうと意気込んでいるようでした。相手にとって不足なし。思い切りぶつかるだけという試合でした。さて結果は・・・

 

 

東京私学選手権2日目 ガス橋ソフトボール場8号面 第1試合

 

駒澤大学  1014030  9

藤村女子  300243X  12

 

負けてしまいました。先発は3年の背番号11。相手は藤村女子。四の五の考えてどうこうなる相手ではありません。全力で立ち向かうのみでした。先攻を取った本校はいきなりチャンスを迎えます。先頭から2者連続四球。3番は三振に倒れるも、4番も四球で1アウト満塁。5番はピッチャーへの内野安打。6番の打球はショートへ。ここでショートはホームへ送球し2アウト。キャッチャーからファーストへ送球され、ダブルプレイで1点止まりとなってしまいます。1回裏は先頭にいきなりヒットを許し苦しい展開。2番の当たりをエラー。3番のピッチャーゴロはサードを封殺し、1アウト1,2塁。4番にセンター前に運ばれるもホームへは帰さず。1アウト満塁となります。5番の時にパスボールで1点。レフト前タイムリーを浴び、2失点。6番には犠牲フライを打たれ3ー1と逆転されます。その後2回はお互い0点。3回表に2番のキャプテンが3塁打で出塁。パスボールでホームに帰り3-2。しかし後続は断たれ1点差のまま。3回裏も0点に抑え、迎えた4回表。1アウトから9番が振り逃げで出塁。1番が倒れ、2アウト1塁。ここから2番がエラーで出塁。3番がライト前ヒットで2アウト満塁。ここで4番がライトへ3点タイムリーヒット!エラーも絡みましたが。続く5番もタイムリーで続き、一挙4得点。6-3と突き放します。この裏を0点で凌げば、と言うところでしたが、先頭ライト前ヒットを打たれます。パスボールを挟み、レフト前ヒットで1アウト1,3塁。ここで盗塁を刺そうと投げた送球が逸れランナー2人が帰り6-5となります。5回表に藤村はピッチャーを交代。この回三者凡退に切って取られます。そして迎えた5回裏。2回からリリーフしていた背番号14が捕まります。先頭にレフト前ヒット。続くバッターのバントが内野安打となるも、3番は三振。4番に逆転の2点タイムリー2ベースを浴びてしまいます。その後四球、三振となり、2アウト。ここで7番に2点タイムリー3ベースを浴びてしまいます。これで9-6とされてしまいます。いやー、もったいない。6回表は1番からの好打順。1番がエラーで出塁すると、2番のキャプテンが意地の三塁打で1点を返します。続く3年の3番もセンター前に運び、2点を返し、なお無死1塁。4番2ベースヒットを放ち、無死2.3塁。5番は死球で満塁。ここで6番は三振。7番の時にワイルドピッチが出て3点目。同点となります。なお、1アウト2.3塁。ここで7番は三振…。8番はピッチャーゴロでチェンジ。同点止まりでした。何とか追いついた本校は0点で抑えたいところ。しかし7回裏にはいきなり9番に3ベースヒットを浴びてしまいます。1番は三振で1アウト。2番の打球をエラーし、追加点を許してしまいます。続くバッターはアウトにして、2アウト2塁。ここで4番5番に連続タイムリーを浴び、2点を追加されてしまいます。これで12-9。6回裏に追い越せなかったのが痛かったですね。7回表も1アウトから出塁するも無得点に終わり、万事休す。これで3年生は引退です。

 

この代は先輩たちの輝かしい実績に後押しされてスタートしました。この代が始まった時、関東予選都大会、インターハイ予選都大会と連続ベスト8。私学選手権もベスト8でした。この代のスタートは私学選手権の実施時期が遅かったので8月8日から。いきなり狭山教育リーグに出場し、練習試合の日々。夏合宿を経ての八支部大会では見事優勝。色々ありましたが?素晴らしい試合でした。9月も、勢いそのままに私学新人戦ベスト8。この時は神田女学園にコールド負け。そして高体連の秋の新人都大会を迎える前に、9月末には完全復活した駒大高祭があり、フルーツポンチは史上初の大売り上げ。10月21日には、ソフトボールU-15のW杯が日本初開催となり、その球場が駒沢公園野球場ということで、急遽本校が各国代表の選手の先導を務めることに。もちろん寝耳に水でしたが、部員たちも一生懸命手伝ってくれました。そして迎えた11月。高体連の秋の新人都大会は、来春に行われる東日本大会の出場権を賭けた戦いになりました。東京には3枠の出場権があります。この時後1つの椅子を巡って本校、都立江戸川、都立保谷が実績点で同点に。この大会の結果で、東日本大会の出場が決まることになりました。しかもクジは奇しくも本校と都立江戸川がベスト16で対戦することに。この試合に勝たないとその瞬間東日本が消えます。一戦必勝で臨んだこの試合。序盤に逆転を許すもひっくり返し、見事勝利!東日本大会出場に大きく前進しました。しかし、都立保谷もベスト8入り。最後は本校と都立保谷で東日本決定戦が行われることに。この試合でも最後の力を振り絞り、都立保谷を破り、東日本大会への初出場が決まりました! 3.4年前も東日本大会決定戦まだ漕ぎつけたことはありましたが、出場は初めて。快挙でした。この時は本当にチームは良い流れに乗っていました。しかし、この東日本大会への出場を決めたあたりからチームの調子は下降線に。特にピッチャーは苦しかったですね。先制を許す展開や、バッテリーエラー、そして点を取った後に取られてしまうなど、思うような試合が出来なくなってしまいました。なかなか調子が戻らない中、年末は、市川ウインターカップ、多摩川ウインターカップと出場も歯がゆい試合ばかり。部員たちも辛かったと思います。年明けの1月には久しぶりの開催の葛飾ウインターカップⅠに出場。1つ勝つも日体大荏原に粉砕され、第3位に。荏原は強かったです。ですが、もう少し出来たはず。そんな試合でした。この時期は高校入試の時期。なかなか試合も組めません。2月には葛飾ウインターカップⅡに出場。この大会で、何とか勝ち上がり決勝へ。相手はうちと同じく東日本大会出場を決めている県立千葉商業。もつれにもつれた試合は同点で終了。(葛飾ウインターカップは60分制)抽選の結果、本校が優勝。葛飾ウインターカップでは初優勝となりました。千葉商業とは3月の東日本大会でも対戦予定があり、決着は東日本大会で、と約束しました。こう書いていくとこの代は「初」が多いですね。3月に入るといよいよ月末に控えた東日本大会に向けて緊張が高まりました。東日本大会直前にも練習試合を入れ、大会に備えました。そして迎えた東日本大会。天候の悪戯(大雨)もあり、2日間のみの開催となり、本校は3戦全敗という厳しい結果でした。当たり前のことですが、東日本大会は各県のベスト4レベルが集まる場所。ベスト8の本校がそう簡単に勝てる場ではありませんでした。でもこの経験は何物にも代え難いものになりました。部員たちは本当に悔しかったでしょうし、勝ちたかったはずです。上には上がいる、これを知れただけでもこの景色を見られただけでも大きな収穫だったと思います。そして迎えた令和6年度。5月の高体連春季都大会はベスト8がけで目黒日本大学に当たってしまうクジ。1回戦を勝ち上がるも、目黒日大に敗れ、ベスト16。3年生にとって最後の高体連の大会、インターハイ予選都大会では、初戦に都立江戸川。勝つとベスト8がけで都立小平西というヤマに入りました。都立江戸川は昨年度秋の秋季都大会で勝ちはしましたが公立の強豪。3年生は絶対にベスト8、それ以上を目指すと奮起し、試合に臨みました。雨による順延で1週間試合が延びました。これが結果的に功を奏したのか、都立江戸川に大勝。ベスト8を賭けて都立の王者、小平西に挑みました。結果は5回コールド負け。やはり小平西は強かったです。序盤は最少失点で切り抜けられましたが、3回、4回には上位打線に捕まり万事休す。打線もヒットを放つもホームには届かず。終わってみれば7-0の5回コールド負け。気持ち的にもこの大会に賭けていたものは大きかったはず。この後はなかなか試合で良い結果が出せませんでしたし、雨で中止になる試合があり、なかなか気持ちの立て直しが難しかったのかも知れません。それでも3年生の引退を賭けた私学選手権はベスト8がけで藤村女子と対戦するクジに。キャプテンはハッキリ言いました。自分たちはベスト4以上と試合をしてきました。「残っていたのは藤村女子だけ。藤村女子の所まで行って絶対勝って引退します。」その思いもあってか、最後は藤村女子と対戦。点の取り合いとなった試合でしたが、負けてしまいました。

思えばこの代は、すぐ上の代が残した東京都5位、全大会ベスト8という偉業の後で苦しかったのかも知れません。3年生5人がほぼ2年次からスタメンで出場していた分、どんどん高度な練習を重ねていきました。今まで対戦出来なかった強豪とも沢山試合をしました。最後の最後、藤村女子との試合、勝たせてあげたかった。もっと上手く声かけ出来てれば、など後悔の念は絶えません。でもこの思いは必ず次の代で、その次の代で晴らしていきます。みんなの頑張りが無駄じゃなかったということを証明します。3年生お疲れ様でした。3年間良く頑張りました。ありがとう!

 

 

誰よりもソフトボール部を強くしようと強い意志を持ち続けたセカンドのキャプテン

 

君は中学3年生の時に、本校に個別体験に来てから入部してくれました。君は今までの選手たちと違い、クラブチームから入部しました。大抵は中学校のソフトボール部から本校に入部する生徒が多い中、君は初めてのケースでした。君はクラブチームでしっかり鍛えられていて入部してすぐに頭角を現し始めました。2年生の時からは不動のセカンドとして試合に出続けました。同じ学年を見回してもキャプテンになれるのは君しかいなかった。君はもしかしたらキャプテン向きではなかったかもしれない。でも君なりに苦しみながら、本当に苦しみながらキャプテンであり続けました。キャプテンとしてチームの責任を一手に受け、その責任感に押しつぶされそうになりながらも抗い続けました。君は左バッターで一見するとスラップ、セーフティバントのみに見られがちですが、ここぞの場面では大きな当たりを打てる選手でした。最後の藤村女子戦、君は勝つために最後まで戦っていました。君は誰が何と言おうと、本校ソフトボール部史上初の東日本大会に出場したキャプテンです。胸を張って下さい。誰に恥じることもない、素晴らしいキャプテンでした。3年間お疲れ様、これからは勉強頑張れよー。

 

 

無口ながらも、頑固で最後まで走りきったサードの副キャプテン

 

君は中学3年生の時の11月、学校説明会のあと、1人でグラウンドを見つめていました。今でもその情景が思い浮かびます。私は君に話しかけました。「ソフトボール部興味あるの?」そして君はソフトボール部であること。ピッチャーをやっていたことを話してくれました。そして紆余曲折があり、君は入部してくれました。小学生の頃から野球を習っていた君はソフトボールの身のこなしが抜群に上手かった。ピッチャーでもその非凡な才能を見せてくれました。新チームになってからは同級生にマウンドを譲ることが多くなり、君はサードとして出場する事が増えました。君は器用で、右利きながらも右でも左でも打てる選手でした。2年生のある時、君は練習で右バッターで、ボールに全く当たらなくなりました。ここから君は左バッターに転向。結局最後まで左バッターでしたね。君はよく言うと寡黙であまり自分のことを話せなかったね。でも3年になってからは段々と自分の意見を言うようになった。先生は君のピッチャーをもっと見てみたかったです。奇しくも最後の藤村女子戦。マウンドに立っていたのは君でした。ソフトボール部では苦しいことばかりだったかもしれません。でも最後までやり切ってくれて本当にありがとう。3年間お疲れ様でした。勉強頑張ってね。

 

 

誰よりも身体能力も高く、ソフトボールセンス抜群だったピッチャー

 

君は4月になってから部活動紹介を経てソフトボール部に入部してくれました。同じ中学校出身の1つ上の先輩がいたのもあって、すんなり入部してくれました。君はピッチャーをやっていたということで、1年生の頃から少しずつ投げるようになりました。君の魅力は何と言ってもその球速。ここ近年では本校の選手で1番速かったかもしれません。しかし長所あれば短所ありで、最初はコントロールに苦しみましたね。投げても投げても四球の連続。自分でも苦しかったと思います。ですが、練習試合で投げまくり、その甲斐あってか、段々とコントロールがついてくると面白いように相手を抑えて行きました。気がつけば君が先発で投げることがほとんどとなりました。ソフトボールや野球のような競技ではピッチャーの持つウエイトは大きくなります。君の出来次第で試合が変わってしまうことも多々ありました。それでも君は黙々と投げ続けていました。インターハイ予選都大会以降はなかなか思い描いたピッチングが出来なかったかもしれません。でも君は凄いピッチャーでした。君がいたから東日本大会に行けたんです。3年間お疲れ様でした。これからは受験という厳しい戦いが待っています。頑張って花咲かせてね。

 

 

初心者ながらも最後の最後で猛打爆発させた、副キャプテンのファースト

 

君は初心者でした。そして入部は6月くらい?? 少し遅かったのを覚えています。君はバレーボール部出身で、身体も大きかったですね。ですがソフトボールは初めて。最初は本当に投げるのも打つのも、捕るのも一から始めていましたね。1年生の時はキャッチャーの練習もしていましたが、チーム事情からファーストに。しかしエラーも多く、バッティングもさっぱりでした。でも君は諦めなかった。黙々と練習し、自主練し、ひたすらバットを振り続けました。そしてその結果、3年になってからはヒットを量産。思い切りよくバットが出るようになりました。しかも身体も大きいので当たりも強く、遠くに飛ばしていましたね。守備には最後まで悩まされましたが、持ち前の根性で乗り切りました。最後の夏のバッティング、本当に素晴らしかったです。やっぱり練習は裏切らない。最後まで君が諦めなかったからこそです。先生も嬉しかったです。続けてくれてありがとう。3年間お疲れ様。これからは勉強だー。

 


初心者ながらもその身軽さ、足の速さで守備範囲がハンパなかったセンター

 

君も初心者でした。君もバレーボール部出身でしたが、身体は小さかったね。しかし運動神経は抜群。スポンジのように技術を吸収していきました。1年生の時はレフト。自分たちの代からはセンターを守るように。守備は本当に落ちついて見ていられましたね。周りからは初心者だとは思われないほど上手でした。ただ君の弱点はバッティング。最後までなかなか光明を見いだせませんでした。ですが、君も大の負けず嫌い。出来ないことは出来るまでトコトン練習していました。足も速く、ソフトボール部としては貴重な存在でした。東日本大会直前の練習試合で足を捻り、出場も危ぶまれましたが、君は素知らぬ顔で練習していましたね。絶対出たい、という強い気持ち。最後の夏、もう少し打てるようにしてあげたかった。君の運動神経なら可能だったはず。でも、君の守備力は初心者を超えていました。運動神経だけでなせる技ではありません。きっと見えないところで練習していたんでしょう。本当に良い選手でした。3年間最後まで続けてくれてありがとう。お疲れ様でした。これからも現代文教えなきゃなのかな?

 

最後になりましたが、3年生を支えて下さった保護者の皆様に、この場をお借りして心より感謝申し上げます。毎週毎週の練習試合、神奈川、千葉、埼玉と各県を飛び回るような日々。朝早く、というより真夜中にお弁当を用意して下さったことと思います。多摩川ウインターカップやスプリングカップでは自らが運営しなければならず、大変だったと思います。しかも今年度から文化祭も通常通りに復活し、模擬店では沢山のお手伝いもして頂きました。また東日本大会では食事会場の手配等もして頂きました。このように多岐に渡りソフトボール部が活動できましたのも、ひとえに保護者の皆様のご理解とご協力があってこそです。我々顧問団も至らぬ点ばかりでご迷惑とご心配をかけたこととご推察致します。ですが、最後まで5名が走り抜けてくれて本当に感謝しかありません。最後の試合、勝たせてあげられなかったことは一生の悔いです。ですがこの代が駒澤大学高等学校ソフトボール部で初めて東日本大会に出場したことは揺るぎない事実です。本当に素晴らしいお子様を入部させて下さり、感謝致します。素晴らしい3年間でした。まだ3年生は卒業したわけではありません。まだまだ進路に向けて各自取り組んで行かなくてはなりません。私も微力ながら教科担当として指導して参ります。今後とも宜しくお願い致します。これからも本校ソフトボール部を応援して下されば幸いです。ありがとうございました。