穏やかでいられた理由 | ふつーの主婦がふつーに思う日々

ふつーの主婦がふつーに思う日々

実母、義父の介護生活も終わり、子ども達も巣立ちました。
日々の生活や仕事で感じた事など、ダラダラと綴ってます。

早いもので母が永眠して1ヶ月。
以前から書いてあったこの内容、投稿しようかやめようか悩んで悩んで悩んだ末、1ヶ月経ったことだし、よしっ投稿しちゃえ〜!
でも…アメンバー限定にする内容かなぁ〜
などなど次なる悩みも出ましたが、基本的にくよくよウジウジ悩むのが苦手なので、普通にアップさせて頂きます。

長いですよ…?


これは個人の自由、宗教の話になりますが…

母の告別式の祭壇の画像を見てお気づきになった方もおられると思いますが、実家はキリスト教です。

私自身は赤ちゃんの時に幼児洗礼を受けてます。

幼児洗礼を受けた子は、大きくなってから今度は自分の意思で洗礼を受け、正式なクリスチャンになるんですが、そのタイミングを失ったまま、クリスチャンではない人と結婚をしたので、今のところ洗礼を受ける予定はありません。

ありませんが、クリスチャンの両親に育てられた私や弟にはキリスト教の教えがもう染み付いているといった感じでしょうか…?
自分ではわかりませんけどね。

父は熱心なクリスチャンでした。

母は仕事の関係で日曜日の礼拝にはなかなか出席できないのが現実でした。

私は礼拝に欠かせない賛美歌を歌うためのオルガニストという役割で、お当番の時だけ礼拝に出席しています。

母がお世話になった特養は、キリスト教の考えが根本にある施設でした。

だから介護職員さん、看護師さん、相談員さんにクリスチャンの方も何名かいらっしゃいました。

母が最期の時、側でお世話して下さった看護師さんもクリスチャンでした。

その看護師さんが、最期の日は母の枕元で賛美歌を多分カセットテープでしょう、流して聞かせてくれていました。

そして

「○○さん、神様の国に○○さんの場所の準備が整ったという事ですよ」

と、穏やかな声で話しかけてくれていたんです。

キリスト教では〈死=神様の国へ召される〉という考えで、悲しい事とは捉えてません。

呼吸が止まりました、心臓の動きも確認できません

と連絡をもらって特養へ駆けつけ、母を見た時

あ、母は神様の元へ召されたんだ

と思ったんです。

思ったと言うか…感じたと言うか、確信したと言うか…。

それくらい2時間ちょっと前に見た母の表情と全然違う穏やかな表情だったんです。

看取り期になり、週に1回は行けない日があったけど、それ以外は毎日会いに行って特に9月に入ってから、それも "もう点滴は出来ません" と言われてからの8日間は日々衰えていく姿、それでも頑張ってる母の姿を見てきたから、

神様の元へ行けてよかったね

というのが正直な気持ちでした。

私、母が召されてから泣いたのは、特養の自室を出て、職員さんや入所者さんが歌ってくれる賛美歌に送られている時だけでした。


神共にいまして 行く道を守り
天(あめ)のみ糧もて 力を与えませ
また会う日まで また会う日まで
神の守り 汝(な)が身を離れざれ


入所して間もない頃、母と一緒にお亡くなりになった方のお見送りをした事がありました。

母は、はっきり言って音痴なんですが、音痴なりに一生懸命歌ってました。

そして

「私の時もこんな風にしてくれるのかなぁ」

と言ったんです。

もちろんよ。
私1番大きな声で歌うからね。

と言うと

「約束ね。あんたの声なら死んでも聞こえる気がする」

って笑った母。

約束したんだから、しっかり歌わなきゃ

そう思ってもこの時だけは泣けて…

お世話になったユニットの職員さん、嫌がる母をなだめながら点滴をして下さった看護師さん、サロンの同じテーブルで毎日食事を共にしていた入所者さん。

皆さん、本当に本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

そんな気持ちも含め、色んな感情が混ざりあって泣けてきました。

でも泣けたのはこの時だけ。

母はこの地上での役割を終えて、神様の元へ召された。

母の穏やかな顔がそう教えてくれたので、私も穏やかな気持ちで送り出すことが出来たんだと思うんです。

こんな事書きましたが、決して勧誘してる訳ではありません。

最初にも書きましたが、これは個人の自由であり、その家に先祖代々伝わる宗教もありますし、他の宗教を否定するつもりもありません。

ただ、母が亡くなっても不思議なくらい気持ちが穏やかだったのは、こういう訳なんだって自分でも改めて気付いたんです。

それを記録しておきたかっただけです。

最後まで読んで下さってありがとうございました。