田舎の小さな小学校で、学年に1クラスしかない。学級崩壊なんかとは無縁だと思ってた。半分以上が同じ保育所に通ってた仲間で、みんなが兄弟のよう。それに、このクラスは男子と女子の仲が良くて、保護者も協力的な方が多く、先生たちにも評判の良いクラスだった。
それなのにこの1年で見事に崩れた。授業中に立ち歩く子がいる、静かにできない、ずっとおしゃべりが続いている。いじめと思しき行動がみられる。授業をまじめに受けたい子には迷惑この上ないし、いままで仲良しだった子たちからいじわるされた子と、その親の傷つき方は半端なかった。
すべては先生の力量によるのだと思い知った。
春、新しく学校に来たベテランの先生。初めて受け持ってもらう男の先生。厳しさを期待していた。
いじめは許さない、そういう態度で始まった。ただ、いじめられっ子と認定された男の子の一人は、転校してきた子でかまってもらいたかったのか、小さな嫌がらせをしてまわる子だった。みんながその嫌がらせに抗議する態度が、いじめと認定され、いじめられっ子は過度に先生に守られいい気になっていった。
もう一人のいじめられっ子も転校生だった。よく泣く子男の子。何が理由か分からない、そんな状況でほぼ毎日泣いていた。そのうち、からかう子が出てきた。うっとうしがる子が出てきた。すべてまとめていじめ認定して、先生は泣いた理由も確認せずに周りを責めた。
子供たちは不公平感を抱き、それが先生への不信感へとつながった。
授業で先生を無視する子が出てきた。先生には押さえつける力も、魅力的な授業をする力もなかった。便乗する子たちが増えていった。授業は遅れる。先生自身がつらくなる。とうとう、ある日学校を休んだ。それからは、時々、お休みするようになった。
ほかの先生の援助を受けて、なんとか終業式を迎えることができそうではある。勉強では、理科は1単元残ったまま。算数も3学期に毎日2時間、教頭先生が授業をしてようやく終わることができた。国語はめちゃめちゃだ。間違った漢字にも、普通に花丸がついていたから。来年に、将来に、影響がないことを祈るばかりだ。
今年度の担任は、たぶん発達障害なのだと思う。間違った判断をし、その固定観念から離れられない。言い換えることができず、分からないと訴える子に同じ説明を何度も繰り返す。子供の個性に合わせた対応ができない。声の音量調節もできず、急に大声で叱り始めるらしい。
客観的に見て、発達障害ってこんなにも迷惑をかけ、孤立するのだ、と理解した。いじめを否定する教育の場であっても 、発達障碍者は嫌がられ、ないがしろにされる。普通にしたいけれどできない辛さはよくわかる、その私ですら、迷惑な先生だと思ってしまうのだから。
本当は、同じように悩んでいる私は、先生を責めてはいけないのだと思う。でも、批判的な自分がいる。その批判はすべて自分に返ってくるのかもしれない。
神様、なぜ、私たちはこんな生き辛さを抱えているのでしょう。魂を磨くとはどういうことなのでしょう。
どうか、先生も私も、心穏やかに望む仕事をすることができますように。神様、どうか・・・。