大正9年の麗子さん | ほぼアングレカングレ

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岸田劉生展に行きました。

京都国立近代美術館。会期はあすまで =^_^=にゃ


「麗子像」

は教科書の美術のアイコンだけど

夜中に出てきたらこわいし、

岸田劉生は一体何を考えていたのか。

明治24年、銀座生まれ銀座育ちの岸田劉生は、黒田清輝の画塾で研鑽したのだけど、

黒田清輝風には背を向け独自の道を拓いた探求者。日曜美術館では意識高い系と呼ばれる。

求めていたのは、

「本当らしく描くことではなく、絵に内なる美を宿らせること。」

 

高橋由一、西洋絵画の開拓者も、再現描写の新しい技法で、絵に命を宿らせようとしました。

幕末から明治、洋画に出会った日本人は、対象を本物のように再現する写実にどれだけ驚いたことでしょう。

高橋由一 「花魁」 (注 岸田劉生展に展示されていない、参考作品として挙げています)

モデルは当代一の美人花魁でしたが、仕上がった絵を見た彼女は、

激おこだったそうです。写実表現は女性の敵。

当時の人にとってのものの見え方が、高橋由一に追いついていなかった。

現代人にとっても、何とも違和感があるのはなぜでしょう。

それは、今の私達とは「異質の感受性の働きが感じられるから」。

高橋由一は柳生新陰流の師範を務める武家に生まれ、狩野派を学び、広尾稲荷神社に龍の天井画を描くほどに伝統画を極めていました。構図や奥行に日本画の美意識があり、さらに、何より、剣術家の目で凝視して、墨の濃淡だけで、一筆で対象を描き切る力があるから気迫がありすぎて、絵が異次元空間になっているのです。私の目が高橋由一の目にとても追いつかない。

 

洋画の歴史は、日本的な感性と西洋絵画の「ハイブリッド」の歴史でもある。

とてもおもわか解説です。(面白くてわかりやすい)

茶色VS紫

 

高橋由一の話ばかりでしたが、さて、岸田劉生です。彼こそ日本独自の写実の体現者で、

凝視ができる天才の目を持っていて、対象の細部に意味を見つけるタイプ。そしてデフォルメする。

デフォルメするのは、その形が日本人の美を感じる本能を刺激するから。

水彩画の麗子は、麗子像の中ではマイルド麗子です。

子どもの髪の毛の質感、清らかな感じ、モナリザのように重ねられた小さな手、

仏像のような長い手とプロポーションは、元興寺の聖徳太子二歳像から着想されたと言われ、

父親を信頼して、健気にモデルを頑張っている麗子さんの素直なまなざしが心を打ちます。

麗子さんは、リアルの向こうの神秘を見せてくれるのです。

 

参考 リアルのゆくえ 平塚市美術館 生活の友社

    京都国立近代美術館のコレクションでたどる岸田劉生のあゆみ 梶岡秀一 岸田夏子 新潮社