人を呼ぶとき | けこですのブログ

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京都にある五つの花街の内の一つ、北野天満宮近くの上七軒。
喫茶店の壁に芸妓さんから贈られたらしい団扇が飾ってあった。
並んだ名前はいかにも華やかで艶めいている。
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昨夜「わからんかったんかい」さんが電話で旦那さんの昇進を知らせてくれた。
聞いたとたんに鳥肌が立った。嬉しい、は正直、後から来た。
私は競馬はやらないが、自分の賭け馬が先頭ゴールしたらこんなものではないかな。
失礼だったらごめんなさい。きっとやってくれる、が現実になった瞬間だった。

ところで私はこの旦那さんをOOちゃんと呼んでいる。
初めて会った時から長い付きあいになると思ったので、初対面からそう呼んだ。
現在押しも押されもしない地位ある立派な会社員だが、私にはOOちゃん。
彼をOOちゃんと呼ぶ人はそう多くないだろう。うん、これでいいのだ。
彼は実にいい男になったので、私の「ちゃん」位には動じていないに違いない。

奇しくも先週「わからんかったんかい」さんが私の呼び名を変える、と通告してきた。
「けいこさん」を「けこちゃん」に変える、というのだ。どんな心境の変化か。
私は彼女を「ひろちゃん」もしくは「あんた」と呼んでいるので、
「けいこさん」には少々違和感があったから、収まる所へ収まった感がある。

初対面で使った呼び名は変えるのが難しい。「さん」か「ちゃん」か「君」か。
「さん」には敬意が含まれている。その分、やや距離感がある気もする。
「ちゃん」は愛称に近い。が、家族以外を「ちゃん」で呼ぶ時、
私には目線を同じにする覚悟がいる。「人間として」対等でいなければ、と思うのだ。
ある意味「さん」で呼んだ方が楽なのではないかと思う事すらある。

「君」は小、中学校の頃、男子生徒を呼ぶのに使ったが、今は使わない。
そして、「呼び捨て」。我が子を呼ぶ時、時に名前のみで呼ぶのは親の常。
私を「呼び捨て」にしたのは別れた旦那のみ。
幼い頃、もしくはごく若い頃からの友人は別として、人が他人を呼ぶ時に
名前のみで呼ぶ心理には相手を「我が物」と思う心があるように思う。

ブログ上で知り合う皆さんにはブログネームがある。
縁あって実際にお目にかかる事もある。その時もついブログネームが出てしまう。
本名でご紹介頂いているにも関わらず、である。
始めの呼び習わしは変えがたい例の典型だ。

死んだ母は私を名前で呼んだ。父は84歳になった現在も「けーちゃん」である。
この歳で老父から「けーちゃん」と呼ばれるのは気恥ずかしくもあるけれど、
何か温かいものも胸の内に湧いて来る。ただしそれは父の機嫌の良い時のみ。
機嫌が悪ければ....「お前」。

居心地の悪い呼び方、呼ばれ方もある。
それは相手の思う距離感と自分の思う距離感が違うせいだろう。
思い切って相手に提案してみるのもいいかもしれない。
映画によくあるではないか。
「ミス・ジョーンズ」と呼びかける相手に、「ミリーと呼んで」などという、あれ。
距離感だな、と思う。同意してもらえればめっけもの。