オークランド、ハーバーブリッジ。北岸に向かって。
冬でも晴れた日曜にはサンデー・マーケットが楽しみ。この日も早起き。
人を呪わば穴二つ、と言う。古い諺らしい。
「他人を呪い殺そうとするならば、呪われた者と呪った自分の墓穴が二つ必要。」
と言う意味。穴は一つで充分なような気がする。呪った者の分だけ、で。
日本の二つの隣国は明らかに日本を呪っている。
自分を葬る穴を掘っているとしか思えない。
中でも晴れた日には日本の領土からその灯りが見えるという隣国の呪いは凄まじい。
国一つがすっぽり入りそうな大きな穴を掘っている。
祝福、という言葉は確かに日本語なのだが、どうも私の耳に馴染まない。
キリスト教的ニュアンスの強さについ目が向いてしまう。
天皇陛下や皇族方が折に触れて述べられる「お言葉」。
現代語ではあるが、あれは「祝詞(のりと)」と理解している。寿ぎ、慰め、祈る言葉。
もちろん、もっともパワーある「祝詞」は陛下のお言葉だ。
日本人にとっての祝福は陛下のお言葉、「祝詞」に他ならないと私は思う。
「..........の労をねぎらい、」「..........に謹んで哀悼の意を表し、」
「..........のより一層の発展を願い、」「...........であるようにと願い」「誠に嬉しく思います」。
これが「祝詞」、祝福でなくて何だろう。
祝福以上に、そこには大いなる慰めがあるのだ。
呪いは非難、中傷、誹謗、捏造、揶揄、差別、嫉妬、あらゆる「負」の言葉で語られる。
攻撃的であり、扇情的であり、そして無礼だ。
日本人はそんなものに成り下がってはならない。
私はもちろん宗教的、土俗的な「呪い」などという物を信じない。
が、「負」の言葉と行動で掘られた穴は信じる。
嘘だと思うなら5年、10年後の隣国を見てみるといい。
あなたの隣で呪いを吐く人々の行く末を見てみるといい。
呪いを吐いてはならない。ただ、真実を語る、それだけでよいのだ。
節度を守り、公平性を重んじ、信義が犯されようとする時には戦う。
日本国と日本国民はもうその道を半ば以上に踏破している。
後ひと踏ん張り。陛下は必ずねぎらって下さる。
と.....ここまで書いて終わる訳にはいかない事に気づきました。
数日前の記事で、「青山さんの言葉使いを真似るのが無理」と申しました。
改めます。「.....のバカ」「カスの......」等々の表現は以後決して使用いたしません。
青山さんがそのような言葉を使われない理由が今やっと解りました。
私の足は片方「穴」に入っておりました。
今から抜きにかかります。
では!
