鬼子母神 | けこですのブログ

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下鴨神社バス停側にある鬼子母神のお社
photo:01
ばーちゃんのお参りが済むのをいつも外で待っていた。
なんだか鬼子母神さんは怖い神様、という気がしていた。


昨日の記事から連想したのがこの鬼子母神。
昨日は母親の愛情に限って書いてみた訳ではないけれど。

鬼子母神インドの武将の妻で沢山の子持ち。
幼い子供をさらって食べたとも自分の子供たちに食べさせたとも言われている。
それを知ったお釈迦様が、彼女が最も可愛がっている末の子供を隠した。
気も狂わんばかりに嘆き悲しんだ彼女はやっと子供を失った母の悲しみを悟り、
仏教に帰依して、安産と子育ての守護、護法神になった、とか。

大変象徴的なお話です。
わが身わが子のためならば他人の子をとって喰らう事も平気でいられる母。
一転して、あまねく母と子の守護神になった母。
エゴの化身から慈悲の神へと変身したですね。

そこで、「慈悲」という言葉について調べてみました。
辞林では、「慈しみ憐れむ心、情け深い事」となっています。
Wiki では、「仏教用語であらゆる生命に対して自他の別のない平等な気持ちを持つ事」
一般的な日本語としては、「目下の相手に対する憐れみ、憐憫」という事でした。

他人の子をとって喰らう、とはいくら何でもあり得ないでしょうが、
わが身わが子のためならば他人の痛みを省みない、という比喩ですね。
わが身はともかく、わが子のためには盲目になるのが母親というもの。
ところがこれ、「わが子のため」とはいいつつも、「わが身のため」なんですね。
母親にとってわが子は分身、自他の別はありませんから。

鬼子母神は善神となりました。神仏の慈悲に目覚めた訳です。
こうなったらわが子と他人の子の区別はできません、いや、しません。
わが身と他人の区別も、もちろんしません。
わが身をいとおしむと同様に生きとし生けるものをいとおしむのが、「慈悲」です。

さて、私ですが、「他人の子をとって喰らう」母に近い気がします。
10人の子が溺れていたらまずわが子の姿を探すでしょう。
すぐ目の前に同じように溺れる他人の子がいたとしても目に入りません。
わが子を救う間に他人の子が溺れ死ぬ事を顧みるでしょうか。
いいえ......。

とはいえ、慈悲の心は誰にでもあります。
雨の中に捨てられた子犬、重い荷を背負うおばあさん、無残に折れた桜の枝。
病や家庭の不和に苦しむ隣人、災害で家を無くした人々......。
世の中の不幸枚挙に暇がないのですから。
しかし、凡人の慈悲は神仏の慈悲とは違うようです。

こんな言葉を見つけました。
「慈悲は上から情けは下から」。上というのは神仏、下というのは浮世です。
自分の立場、状況を一切考慮に入れる事無く慈悲を施せるのは
実は神仏のみの御技、という事なのでしょうか。
ならばせめて情けある人になりたいものです。

なんだかお寺の説法みたいですね。
なむあみだぶつ。