大阪戎橋のマクドナルド
生まれて初めてマックのハンバーガーを食べた。1970年代初頭。
当時ハンバーガー80円、チーズバーガーが100円だったと思う。
東京ではマック、大阪ではマクド、と呼ぶ。大阪はベタや。
自分の国ではまだしも、外国に行ってもつい入ってしまうのが悲しい。
ただ、味とサイズの比較はできる。それだけは結構楽しい。
アメリカのマックはさぞかし、と思ったが、普通サイズやったなあ。
バーガーキングはでかかったよ。飲み物も巨大でした。
息子がまだ高校生の頃、学校の休みに一人で日本に帰した。
その頃うちの財政はかなり厳しくて、親子三人で帰るのは無理。
10数年前のNZには格安チケットなんて無かったからね。
で、息子は大阪ではその頃健在だった父方のばーちゃんの家、
京都では小学校時代からの友達の家に泊めてもらう事になった。
たとえしばらくでも日本へ帰れる、となった時の息子の嬉しそうな顔は
忘れられん。長い事帰してやれんかった、不憫やった。
娘には申し訳なかったが、一人で行動できる息子をまず帰そう、と思った。
息子は元気にNZに帰ってきていろいろな土産話をしてくれた。
その中で印象が深かったのは、これ。何でもないような話やけど。
ある日息子が幼馴染と一緒にマクドナルドへ行った。
注文、支払い。そしてトレイに乗った商品がカウンター越しに渡される。
「ありがとう。」と息子が言うと、一緒にいた幼馴染が驚いた。
「お前、何言うてるねん、黙ってうけとったらええねん。」
「何で?」「何でて、ありがとう言う奴おれへんわ、普通。」
これには息子の方が驚いたらしい。ある意味目からウロコやったと思う。
息子が少年時代を過ごして来た国ではお金を支払ったサービスであっても、
サービスを受けた人間は「ありがとう。」を言う。
マクドナルドであれ、スーパーのレジであれ、タクシーであれ、同じ。
「ありがとう。」に対しては「どういたしまして。」。
お互いに気分が良ければ「よい一日をね。」を言い合う。
習慣的に口に出るものだから、心がこもっていない、といえばそうかも知れん。
しかし、この習慣に慣れてしまうと、これ無しで済ます日本はいかがなものか?
と考えるようになった。相手を人間扱いしていないようにすら感じますわ。
自販機、ATMやないんやから。
私たちが日本でいつもお世話になり、宿泊させてもらう友人宅は、
ショッピングセンターの駐車場がすぐ傍にある。
朝早くから営業終了まで、雨の日も風の日も警備員さんが交通整理をする。
通行人が出入りの車で事故に遭う事のないよう、四六時中見守ってくれている。
私は通り際には必ず「ごくろうさまです。」と挨拶する事にしている。
警備員さんも笑顔を返してくれる。嬉しい。ほんまにご苦労様と思うもんな。
最近では又違う現象にも気が付いた。
商品を見に店に入り、出る際には店員さんが深々と頭を下げ、
「ありがとうございました。」と礼儀を尽くしてくれるが、あれはやりすぎや。
買い物をした時はまだいいが、そうでない時はリアクションに困る。
NZでは客のほうから「ありがとう。」と言う。見せてもろうたからね。
店員は無論「どういたしまして。」と返す。こっちが自然やないかい?
日本人は礼儀正しい。マニュアル通りであれなんであれ、
決められた職責は必ず果たす。
それ以外、それ以上の事にも骨身を惜しまない。そして嘘をつかない。
世界のどこを探しても、こんな民族はいない。誇りに思うべきや。
しかし....。
お金を支払う立場になったらなんでそれほどふんぞり返る?
普段は自分が頭を下げる立場の人までが同じ事をする。
わからん。悲しい。
マクドナルドでハンバーガー作ってくれる人がいなかったら食べられないぞ。
え?食べて金払う人がいなかったら彼らの仕事はないってか?
そんならお互い様やないの?ね?
