ばーちゃん、朝のお勤め | けこですのブログ

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春まだ浅い鶴の湯本陣の夕暮れ
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赤ん坊の頃から18歳になるまで、じーちゃんの実家のあった隣の町内に住む未亡人の家で育ちました。その人をばーちゃんと呼んでいました。ばーちゃんは貧しかったけれど、わが身を削ってに尽くしてくれました。ばーちゃん、ありがとう。

そのばーちゃんは朝一番に小さな神棚とお仏壇にお灯明を上げ、神棚には拍手を、お仏壇には般若心経を唱えます。お経の終わりには必ず「大難小を小難に、小難を無難に替えて頂きます様に」と付け加えていました。そして、ちーん、合掌。

布団の中でばーちゃんの「朝のお勤め」を聞きながら、子供心に不思議でした。どうせなら「今日も何事もなく無難に過ごせます様に」とお願いすればええのに、と思うたんですね。ばーちゃん、頭悪いんかな?と思いながら聞いてました。いや、本当。

ばーちゃんのお願いの意味に納得がいったのはばーちゃんが亡くなってからです。
生きていくという事は苦難の連続なので、天と神仏はすでにして大難を小難に替えて下さっているのでした。無難の日は実は小難あるべきはずの日なのでした。

事故で大怪我をするのは大変な災難やけど、命を落とす、という事態も有り得た訳です。家宝の壷が割れるのは家そのものが火事に遭ったと思たら有り難いようなもんです。買ったばかりの定期券を紛失するのはバッグを盗まれるより幸運です。

今日はどんな日になるやろう。ぎっくり腰も起きず、上司にも怒鳴られず、電車に乗り遅れる事もなく、パソコンの上にコーヒーをぶちまける、という事態にもならずに済むのやろうか。日本という国に日本人として生まれた幸運の上の又、幸運。

どんな不幸にもそれに勝る不幸はあると思います。けど、大きな辛い試練の中で、我が身の幸運に気づくなどというワザは誰にでもできるというもんではありません。もできるかどうか。けど、やってはみます。それだけは約束します。

あ、私、無宗教です。いかなる団体にも属してません。
般若心経は唱えられます。毎朝聞いて育ちました。意味は知らんのです。

では、又。