父のこと、ちゃんと残しておこうって

思っているのに、なかなか書けず…


またまたかなり空いてしまいました💦



言い訳ですが、、

一家の主人が亡くなると、手続きが大変ですね💦


全て相続や名義変更しなくてはならず、

準確定申告やら、相続登記やら…


その上母は運転ができないので、

(それまで、父の退職後田舎暮らしがしたいと、

車が無いと生活できない場所で暮らしていました)

49日が終わってから、私の家の近くに

引っ越してきたりと…


今でもまだバタバタしています。



でも、しっかり覚えています。


父のこと、父の最後の日のこと。



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余命宣告を受け、病院に不信感を持ったのと、

もう回復の見込みが無いのなら、少しでも穏やかに痛みを取り除いて残りの時間を過ごして欲しいと思ったのとで、私の家から近くて、緩和ケア病棟がある病院を探しました。


どこもいっぱいで、年末だったのもあり、なかなかすぐに入れるところは見つからなかったのですが、ここならいいかな、という病院の面談予約を取ることができました。

その後、急遽キャンセルが入ったとのことで、予定より早く面談ができることになりました。


なので父が亡くなった日は、病院へ行って診療情報の資料を受け取る予定でした。

そして、父が会いたがっていた、父のお兄さんもお見舞いに来てくれる予定でした。



そして、亡くなる前日は、私は前の職場の友人と久しぶりのランチの約束をしていました。

かなり前から予定していたので、気分転換にもなるし、楽しみにしていました。


ですが、その日の早朝、病院から電話があったらしく、母から急遽病院へ行くと連絡があり、往復電車で行くのは大変だろうし、次の日も行かなくてはならないので、申し訳ないけどランチはキャンセルさせてもらい、私も病院へ行くことにしました。



私が到着すると母はもう着いていて、父も起きていました。

どうやら父が夜中にトイレに立ったところ、貧血で倒れてしまって、一時血中酸素飽和度がかなり下がってしまったようでした。


看護師さんも、

「危ないから必ず呼んでくださいね」

と言っていて、父も

「危なかったみたいだ」

と言っていました。



そして、もうモルヒネを使っていたため、少し朦朧とする時があり、

「熊が来たんだ」

と言っていました。


それでも、株の配当金がそろそろ入るとか、

なんだかんだ心配して確認していたので、私はてっきり明日は資料を貰って、父も兄弟に会えて、明後日には緩和ケアの病院へ面談に行って、年内か年始には転院して…と考えていました。


いつもは14時からしか面会できないのですが、その日は先生に呼ばれたのもあり、午前中から長い時間面会することができ、いつものように色々話して、夕方母の家へ帰り、そのまま泊まりました。



続きます。

(思いの外長くなってしまい、夫が出てきませんでした💦すみません💦)