「虹が出てるよ」

声をかけられて裏庭?へまわると、神々しいほどの黒雲が雨を降らせているのが見えた↓

ブラックウォーター家の人々はこんな景色の中で暮らしているのか。

THE VIEWホテルから公園指定エリアを出てすぐのところにその「家」がある↓

↑囲いはなく↑こんなゲートだけ。

昼間に案内してくれたウィリーさんと家族が気軽に迎えてくれる。

↑日本から持ってきたお土産をテーブルいっぱいにひろげる↑けん玉はもっとちゃんとしたのを差し上げればよかったかな。

↑がぁがぁ叫びながら三羽がやってくる↑こちらは歓迎というより警戒(^^)

夜にはコヨーテがやってきて家畜をさらっていくこともあるのだそうだ。

 

息子ティノさんの奥さんが↑ナバホブレッドを用意してくれていた↑

↑こうやって油で揚げるとみるみる巨大にふくらんでゆく↑

バーベキューの肉をたくさん用意してくれていた↑

↑LAからのガイドSさんが韓国風に漬けた肉を提供(手前)好評だった。

2007年からお世話になっているガイドのウィリーさんの息子↑ティノさん

※2008年にお父さんのウィリーさんがスージーさんのホーガンで解説しているyoutubeはこちら

「こいつはなかなか良い仕事しているよぉ」

ウィリーさんは、十四年前の自分のガイド動画を息子のティノさんに見せてた(^^)

仕事を終えた親戚・仲間たちが集まってきた。

モニュメント・ヴァレーで仕事をするのは先住民にしか許されていない。だから、ナバホ族の多くの人はこうして生活を維持している。トレーラーハウスの暮らしはけして裕福ではないけれど、ここを出て都会に暮らすこととどちらを選ぶべきなのか、悩むだろう。ここにいれば生きていけるだけの生活は保障されるが、若者が夢見る新しい世界はここにはないから。

 

↓「おれの小さい頃だよ」↓

↓こっちはベトナムに行ったときだ

え?そうか、ウィリーさんはベトナム戦争に行った世代なのだ。

 

↓こちらはお母さん

1950年代、60年代、70年代、彼らはまだまだ「インディアン」だった。

民俗学的対象にはなっても、アメリカ市民としてまっとうに扱われていた時代ではない。

黒人たちがそうだったように、戦争で兵士として活躍することで白人と対等になれたのだろう。

この居留区で一見平和に暮らしているところにおじゃますると、外の世界に厳然として残る偏見を忘れそうになる。

この子が外の世界で偏見にさらされずに能力を発揮できる時がきますように。

幸せそうに微笑む彼女のお母さんもおばあちゃんも、ここまでどんなふうに生きてきたのだろう。